鈴木内閣の内閣書記官長でいわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人でもあり、時代の証言者として、または歴史の生き証人として現場に立ち会った本人が書いているだけあってこれほど面白い本も稀である。
軍部を中心とした徹底抗戦派と重臣らが画策する和平工作で国論は分かれ、鈴木首相は早期講和の意志があることを秘し、表面上は戦争継続を叫びつつ、軍部のクーデターを回避しながら、如何にして終戦に導くか、その腹芸の難しい舵取りの懐刀として鈴木総理は迫水を手元に置いたということだろう。
クライマックスは終戦前日、8月14日の御前会議。
日本史上、これほど感動的な一日は他にあるまい。
そして陛下と侍従武官長の蓮沼蕃(しげる)。
ポツダム宣言の要旨を書記官長が読み上げ、宣言受諾を巡って賛成反対の意見が述べられた後に陛下のお言葉。
「私も外務大事の意見に賛成である」
その後、受諾理由を涙ながらに語られた陛下を前に列席者一同が号泣。
日本史上に長く記憶させるべき重大な一日だった。
鈴木貫太郎内閣の発足は昭和20年4月7日。
海軍大将でもある総理は御年79歳。
陛下のたっての希望で大命降下、已む無く総理の職を拝命した鈴木には心中深く期するところがあり、傍に使えて、その一部始終を見聞してきた結果がこの本の結実である。
有名な鈴木総理と阿南陸相の最後の対面の時に交わされた会話は次のとおり。
終戦の議が起こって以来、わたしは総理に対して、いろんなことを申しあげ、たいへんご迷惑をおかけしました。ここに謹んでお詫び申しあげます。わたしの真意はただ一つ、どんなことがあっても国体を護持したいと考えただけでありまして、他意があったわけではありません。この点、どうぞご了解くださるようお願い致します。
それに対し総理は。
「阿南さん、大変でしたね。あなたの気持ちはよくわかっています。国体はきっと護持されますよ。皇室はご安泰です。なんとなれば、陛下は春と秋のご先祖のお祭りを御自分の手で熱心に行われてこられましたからね。長い間、ほんとうにありがとうございました。」
そして阿南陸相はこう述べて退出し、その後、割腹自決。
「わたしもそう信じております」
陸相の頬には涙が伝わり、それを聞く迫水書記官長も涙する。
そして総理が書記官長に言った言葉は。
「阿南陸相は暇乞いに来たんだよ」
国家が滅亡の淵に立たされる。
この岐路に直面し、当時を知る日本人の心境を思う時、まさに「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」ですね。
戦争は始めるより終えることの難しさを痛感させる8月14日だった。
因みに阿南さんの言う「他意」とは「元よりクーデターなど考えてはおりません」ということではなかろうか。