愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

老いの道づれ―二人で歩いた五十年 沢村貞子

 
沢村貞子と聞いて、すぐ顔を思い浮かべれる人は、やはりある程度の年配者なんだろう。
明治41年生まれの貞子の家系は芸能一家で、兄は四代目澤村國太郎、弟は加東大介、甥に長門裕之津川雅彦がいる。
 
貞子本人は数多くの映画やドラマに出演したが、名脇役という肩書からも分かるように代表作というのが思い浮かばない。
黒澤映画でお馴染みの藤原釜足は元夫でもあるが、経歴をみると、どうやら3度の結婚歴がある。
 
この本に書かれている五十年連れ添った相手というのは文筆家の大橋泰彦という人だが、この方については全く知らない。
二人の馴れ初めは昭和20年の暮れで、以来、夫が死ぬまでの約半世紀のことが掻い摘んで書かれている。
事の始まりは1994年、出会ってから翌年で50年になるのを記念に誰読ませるわけでもなく交代で思い出すまま昔を書き連ねていくつもりのはずが、初回だけ書いて御主人が亡くなってしまった。
後は貞子が大好きだった亭主の思い出をつれづれなるまま綴った作品になった。
中でも印象に残ったのがこの場面。
 
「今でも、やはり鮮明に覚えているのは、一日、二人で宇治へ出かけた日のことである。宇治川を渡って、平等院の美しい建物が、額縁の絵のように前方で見える河原の石に腰をおろして、かなり永い間、話し合った」
 
およそ、今から70数年前のこと。
15年程前だったか、一度、宇治に行ったことがあり宇治川に架かる橋、あれは観月橋だと思うが、その問題の河原に降りたことがある。
渡月橋と違い、あの辺りには人が疎らで季節によっては鵜飼のシーズンもあるらしいが、私が行った時は人が殆ど居なかった。
思うに二人が座った石とはどの石なのか、非常に感慨深い。
私が旅先で思うことは、人、それぞれの胸の裡に大事に仕舞われている旅した時の懐しい思い出が、その人たちの死と共に永遠に消え去っていく人生の儚さだ。
 
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
 
50年紡ぎ合って来た愛の形が相方の死によって淋しく崩れ去ったときの心の損失感は如何ばかりであろうか。
二人には子はなく、遺された妻の哀しみだけが涙のように筆先からこぼれ落ちて文章になる。
誰もが通るこの道。
読むほどに、読むほどに悲し随筆だった。
 
ブログ村・参加しています。
ポチッ!していただければ嬉しいです♡ ☟