愛に恋

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広島に原爆が投下

おはようございます。

広島に原爆が投下されて77年目の朝を迎えましたが、私も長く生きてきましたので、もう何十回とこの日のことを考え、「もし」と思わざることもありました。

そうです、もし、ポツダム宣言をそれでも鈴木内閣が受け入れなかったなら、さらに3発目を小倉に落としたのか。

そして9月に九十九里浜に上陸して本土決戦になったのか。

そうなればソ連は必ずや北海道占拠に向け攻撃したことと思います。

阿南陸相などは、まだ一度も日米大会戦を行っていないので、地理的な利を唱え、米軍に大打撃を与えた上で講和を結ぶべきだと唱えていました。

そうなった場合、果たしてどうなったのか。

また、トルーマンは当然、原爆投下となれば無辜の民が落下地点でどうなるかも聞いていたはず。

それでも本土決戦となれば米軍に100万の死傷者が出る計算上、落とさざるを得なかったと判断したのでしょう。

トルーマンの決断と東郷外相と阿南外相の激論。

そして鈴木首相と昭和天皇の英断。

いったい、何をどうすれば最善の方法だったのか、私には読んでも読んでも分かりません。

写真は呉市の吉浦町(現:若葉町)の海軍工廠砲煩実験部から尾木正己氏が撮影したきのこ雲。