愛に恋

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カミーユ・クローデル 極限の愛を生きて 湯原かの子

 
昨今、不倫、浮気、ゲスだと世の中はかまびすしいが何も不倫は今に始まったことではないことぐらい誰もが承知している。
ヨーロッパでは王侯貴族でさえゲスなる不倫は珍しくもなく、ましてやハリウッドでは不倫がないほうが珍現象でさえある。
ただひとつ、昔と違うのは現在の世には芸能レポーターという人の噂話しを基に飯を喰っている輩が存在することだろう。
 
例えばである、自分が目指す芸術的方向性と同種の考えも持ち、尚且つ天才にして類まれな美貌の女性、または男性が目の前に現れ、日々、一緒に仕事をすることになったとする。勿論、自信は伴侶のある身で!
さあ、どうする?
職業として選んでいる芸術に関しては何でもいい。
画家、小説家、音楽家、映像作家、詩人、または茶道でも華道でもよい。
人生、またとない運命の相手が現れ、毎日、顔を合わせ仕事をし、目指すべき未来を熱く語る。
更に、お互いが互いを運命の相手だと確信したとする。
で、どうする?
一線を超えることなく理性を保てるだろうか?
少なくとも芸能レポーターだけは理性が保てるはずだ!
そうでなければ困るし、一線を越えては自らの職業が成り立たない。
 
しかし、私は断言出来ない。
人生、出会うはずのない相手が眼前に出現し、共に恋愛感情を持った場合、人間として理性を保てるだろうか。
時に不倫は善悪を超えた領域をはみ出し番外の地で強烈な熱戦を放つ。
それ故、世の中で最高の恋愛は不倫だと解釈する説が昔から存在するわけだ。
知っているだろうか?
昔、アメリカで奴隷の女性に子供を産ませた大統領が居たことを。
それに対し、以前、アメリカ国民の意識調査があった。
大方の答えは意外にも「人間らしい!」だった。
 
話しが横道に逸れたが問題の女性、カミーユ・クローデルである。
彼女に関しては以前から興味を持っていたが、どうにも適当な本が見当たらなかった。
古書市で目にするのは必ずと言っていいほどアンヌ・デルベという人が書いた単行本ばかり。
しかし、遂に日本人が書いたカミーユ・クローデル古書店で見つけ浮足立った。
正に運命的出会いである。
さてと、本論だが毎度のことながら実に気が重い。
更にこの本には情報量が多すぎる!
 
まずは、カミーユ・クローデル終焉の地となった南仏のモンドヴェルグ精神病院、お金があったら是非にも行ってみたいものだ。
カミーユは三人姉弟で妹ルイーズはピアノに弟ポールは詩作の道に進んだとあるが、詩人ポール・クローデル、聞いたことがあるようないような?
カミーユがいつ頃、どういうきっかけで彫刻に興味を持ったのかは定かではないらしいが両親は子供が産まれる頃から既に関係は冷え切ったものになっていたらしい。
 
結果、父は芸術性豊かなカミーユを愛し、母は二才年下の妹ルイーズを偏愛したことによって姉妹の関係も悪くなる。
天賦の才に恵まれカミーユは将来偉大な芸術家として成り立つためにはパリに出て修行しなければ駄目だ、それが天命だと恐ろしい意志で家族に執拗に要求、家族が別れて暮らすなど不経済だと突っぱねる母との間で連日激しい論争。
全ての反対を押し切り父だけ残しパリ移住を決断させる事に成功したルイーズは若干17歳の少女。
 
しかし、19世紀の時代は貧富の差に関係なく少女が芸術家になるなど、そんな夢のような妄想は嫌われ、また、芸術家の地位も低く収入も不安定。
若い娘が芸術家になるなどは一種のスキャンダルだった。
なかでも強靭な体力を要する彫刻家は女性には不向きで世間的な偏見も根強い。
だが、そのような事は物ともせず、家族の反対を押し切り、母親の敵意にも抗して彫刻家の道に進むカミーユは、余程の自信と強固な意志を秘めていたのだろう。
 
カミーユの才能をいち早く見抜いたのは当時の第一級彫刻家、アルフレッド・ブーシェという人らしいが1883年、そのブーシェがローマに滞在することが決まり、カミーユの指導をロダンに依頼したことが運命の出会いになってしまった。
19歳にして臭い立つような美人、モデルとしても完璧な肉体と天才性、更にロダンをして驚かせたのは二人の作風の類似性。
ロダンはこのように言っている。
 
フォルムは象徴である。容貌は魂を表す。肖像は心理の表象でなければならない。
 
その見事な実践者がカミーユだった。
彫刻家としてのカミーユもさることながらモデルとしてのカミーユを制作したい欲望に駆られたロダン、次第にロダンのアトリエに通うことが多くなるカミーユ
当然の如くカミーユに対する偏愛は強くなる。
ロダンは敬虔なカトリック信者だが名声が高まると共に女性関係も多くなった。
 
一方、ロダンの創造のエネルギーを見るにつけ次第にモデルとしてのカミーユは裸体を曝け出し、情熱の坩堝の中に引きずり込まれていく。
幼い頃から暴君だったカミーユは昂然とロダンの愛人になり良俗への挑戦、規制社会の価値への反逆。
 
「人生で価値のあるのは芸術と詩だけ、家庭、社会、宗教などのあらゆる習慣は欺瞞にすぎない」
 
と豪語するカミーユ
しかし、事態は複雑だ。
ロダンには20年連れ添った内縁の妻ローズと一人息子がいた。
だが芸術家として生きようとするロダンにとってローズは最早追い求める女性ではなく芸術的感興を与えてくれる存在でもなく息子を籍に入れることさえなかった。
著者は書く。
 
彼女は美貌と若い肉体のみならず、類まれな才能と、深い教養と、そして何よりも激しい情念と意志の力を持っていた。彼女は想像力を触発し、共に美と真実を追求できる芸術上の伴侶であり、また、情熱と意志において男と対等な、真の恋愛相手だった。
 
カミーユにとってのロダンは。
 
自己の愛と情熱、優しさと知恵、そして想像力の全てを注ぎ込むに足る一個の男として現存した。それは恋をする女にとって全宇宙にも等しかった。なぜなら女はいつも、自己の全存在をかけられる「たった一人の男を」探しているのだから。
 
う~ん、そういうものか!
しかし、次第に二人の関係は噂になり双方の家族にも知れる。
そこでロダンの取った方法はカミーユと密会の場所を確保する。
ロダンにとっては女性に対する称賛は性愛へと直結し、カミーユにあっては芸術のエロスも愛のエロスも彼女自身の内奥の世界と結びついていた。
著者は書く。
 
真に愛し合う男女が恋愛と芸術のエロスを共有し、高いエネルギーの交感の中に生きる時、性愛の持つ肉体的要素は精神的感情に浸透されて霊化され、性愛それ自体が一つの芸術作品にまで高められる。
 
カミーユにとってのエロスは内的で精神的な色調を帯び、愛のエクスタシーにおいて、人はそれまで自己を閉じ込めていた個の殻を脱し、他者と一体化する。その時、官能は感覚を通じて魂と魂が交感する場となり、性愛は肉体の交わりを通じて達成される魂の融合と化す。
 
一方の妻ローズは20歳でロダンと知り合い貧乏と苦労を共にし、忠実な家政婦としてロダンに仕え、ロダンの名声が上がっても狭く粗末な家に住み文句も言わず耐えている。
旅行に伴われたこともなく社交場に連れて行かれることとてない生活で友達さえ居ない。
 
他方、カミーユロダンに連れられ芸術家の集まるサロンに夫婦然として現れ、若くてとびっきりの美人。
容色で劣り何の才能もないローズ。
嫉妬にかられたローズは二人のアジトを突き止め、一切の妥協を許さぬ気性の激しいカミーユと火花が飛ぶような修羅場を何度も演じる。
こうなって来ると男は大変ですね。
芸術的才能に恵まれたカミーユを取るか、苦労を共にして来たローズを取るか!
 
ロダンの苦悩は深く、どんなにカミーユに魅了されても、ロダンのためのみに生き苦しんでいるローズを見捨てることが出来なかった。
事態は緊迫し決して譲歩しないローズとカミーユの間で揺れながらロダンは決断を下すことが出来ない。
ロダンにとっては安心して仕事に打ち込める環境が何より大事。
カミーユを失うことは、創造的エネルギーの源泉を失う事に等しく、どちらか一方を選ぶことが困難。
 
女が潜在的に持っている娼婦性をロダンによって呼び醒まされたカミーユは意地でも引き下がらない。
しかし、カミーユの大きな悩みは世間からロダンの第一級の助手だと見られている点。
助手ではなく独立した芸術家を目指すカミーユにとっての悲劇は、あまりにもロダンの作風と似通った作品が誤解を招いていた。
ところで著者はこんなことを書いている。
 
男のエロチシズムによって深く官能性を目醒めさせられた女の肉体は、ただ一つの肉体に固着し、他のすべての肉体を嫌悪する。
 
これは男にとっては難しい定義ですね。
そういうものだろうか?
そして、カミーユロダンの子を宿す。
しかし、ロダンの20歳になる一人息子は精神的な病があるため仕事にも就かずブラブラしており今更、孫のような子供を持つことを躊躇う。
ロダンの表情から全てを読み取ったカミーユは堕胎を決意。
 
巨匠の弟子という不満、恋の挫折感、子供を失った損失体験を機に憎悪に満ちた被害者意識が発展、カミーユロダンと離れ独立した芸術家を目指す。
恋愛は上昇期より下降期に多くのエネルギーを使うが二人の関係は終わったとはいえ、相当長い期間、浮沈を繰り返したようだ。
共に疲れ、特にカミーユは男に愛されなくなった肉体を引き受けて生きていかねばならない女の孤独から、ますます耐え難い執着と嫌悪、嫉妬と憎悪から、一層孤独に引きこもり創作に没頭する。
 
別れて6年、ロダンカミーユに対する援助は惜しまなかったが1898年二人は遂に決別する。
以来、カミーユは心身を蝕む孤独と貧窮、ロダンへの憎悪と恐怖を募らせ、迫り来る狂気に抗しつつアトリエに籠り必死の制作活動に入る。
しかし、1906年から毎年夏になると、その年に作った作品を悉くぶち壊すようになった。
 
カミーユは徐々に精神を病み、自分のアイディアが全てロダンによって奪われていくと錯覚し、そのお蔭でロダンは地位、名誉、富と全ての物を手に入れたと妄想は激化していく。
そして遂にその時、1913年3月10日、カミーユのアトリエの前に精神病院の護送車が止まり強引にドアをこじ開け、抵抗し泣き叫ぶカミーユを精神病院へと連れ去る。
時にカミーユ48歳。
 
病院入館の手続きをしたのはロダンではなくカミーユの家族であった。
焦りのあまり金銭的な援助を申し込むロダンだったが家族は受け付けず、破滅と発狂の全責任はロダンにあると一切の接触を拒否。
私にはよく分からないがカミーユの診断結果はパラノイア精神病の解釈妄想病ということになっている。
「解釈妄想病」に付いて著者は鋭い洞察を展開しているので引用する。
 
もともと人間は誰も、理性で統御された「正常」な仮面の下に、多かれ少なかれ狂気を秘めた存在である。日常性が打ち破られ、危機的状況におかれた時、それまで自己を制御し保護していた理性や正常な意識が麻痺し、人間は狂気にさらされる。その緊張状態がある破局点に達した時、人は狂気の側にすくいとられるのではないだろうか。そしてその破局点にどれだけ耐えれるかは、その人の置かれた環境と、生来の資質が関係しているのだろう。
 
素晴らしい解釈ですね!
ところで、かなり長い記事になっているが、もう少し続けたい。
これまで多くの評伝を読んできたが、こんな明晰な文章と洞察力に飛んだ本を読んだことがない。
芸術とエロス、恋愛と性愛を深く掘り下げ、まるでレントゲンを透かすようにエロスが持つ狂気と歓喜を表現出来る女性が居ることに驚く。
肉体的には心臓は採り出すことは出来ても心を採り出すことは出来ない。
しかし、この人の文章には心の襞を見透かすような鋭い洞察力を感じる。
で、経歴を調べてみた。
 
昭和23年生まれ、フランス文学者にして伝記作家とある。
1971年上智大学文学部フランス文学科卒業。
上智大学院、九州大学大学院を経て、1984年パリ第四大学(ソルボンヌ校)第三課程博士号。
1999年に同大学新制度博士号を取得。
1998年淑徳大学教授、2007年同校退職。
 
単に学識が高いだけではなく、人をして唸らせる確かな洞察力と鋭い眼力。
こんな女性にはとてもじゃないが安っぽい下心など持てない。
例えばこんな性愛論!
 
性愛は、内的照応を感じ合う男女が真に愛し合い、身も心も魂も一体化する時には、その生命エネルギーの昂揚が天上のエロスにも達する恍惚感を与えうるが、逆に三角関係などで愛が二人の間で完結しない時には、日常は意識されない心の暗部から、嫉妬、猜疑心、不信感、憎悪、復讐心、殺意など、ありとあらゆる暗い情念を吹き出させ、ついには人から生命感を奪い、創造力を麻痺させ、狂気の淵へと駆り立てる、という二極性を持つものである。
 
性愛の齎す歓喜が大きければ大きいほど、性愛にかかわる嫉妬は激しく、理性の力ではどうすることも出来ないほどに人を狂わせる危険な力と、神経を悩ませるような隠微な毒を秘めている。
しかも、男は性を部分的に生きることが出来るが、女にとって性は、肉体、感情、精神にかかわる全存在的なな行為である。したがって、愛情の三角関係で、より大きな苦しみを味わうのは、多くの場合、女の側である。
東西の文学をひもといてみても、古来、完結されない愛によって、男の不実によって、気も狂うほど全身全霊で苦しんできたのは圧倒的の女の方が多い。
 
そう考えてくるとカミーユにとってロダンと巡り合ってしまったことは、やはり不幸だったと捉えればいいのか?
もう少し引用しよう。
 
ロダンは、女のうちに官能を呼び醒まし、女を尽きることのない渇望へと駆り立てる、そんなエロスの磁場を持った男だった。ロダンによって深く官能を目醒めさせられたカミーユは、ロダンを熱情的に渇望した。献身的に自己を捧げる愛によってではなく、相手を支配し所有し、自分だけが熱烈な愛の対象でありたいと願う愛によって。そのような絶対の愛を相手に求め、渇望したがゆえに、いっそう成就されない愛の絶望も大きかった。
 
そして女としても母としても挫折し過度の孤独癖に精神の変調の来していく。
芸術家は多かれ少なかれ狂的なものによって人の見ないものを見ている。
一歩誤れば破滅の淵へ転落する。
カミーユはその破滅の道を転落していった。
1943年10月19日、78歳の生涯をモンドヴェルグ精神病院で閉じた。
実に30年の長きに渡って収監されていたわけで、痩せ衰え、歯は抜け落ち嘗ての面影はまったくなく、ひたすら里帰りを希望していたカミーユの願いを打ち砕いていたのは母親ら家族で母子は遂に和解することなく孤独の裡に死んでいったカミーユ
 
因みにその後のロダンはどうなったかを書いておく。
第一次大戦最中の1917年1月29日、市長立ち合いのもと、自宅で簡素な結婚式を永年連れ添ったローズと挙げた。
新郎76歳、新婦72歳。
そして挙式から二週間余り経った2月14日、長い間、苦しめられた愛憎の感情から解き放たれたかのように旅立った。
自己犠牲の一生の果て勝利者となったローズ。
しかし、著者は言う。
 
愛と芸術のため全てを犠牲にしたカミーユの一生は、まさに悲劇的だったがゆえに偉大だった、といえるのではないだろうか。
カミーユは実人生においては失敗したかもしれないが、愛を極限まで生き、生の軌跡を不朽の芸術に結晶させたことによって、現実的時間を超えている。
それは永遠の時間における勝利者といえよう。
 
まったく長く疲れる記事だった。
しかし、考えさせられる。
運命の変転、狂って行く歯車、天才と狂気、理解されないジレンマ、熱愛と愛憎。
カミーユのような人生を送るなら、敢えて凡人で生きることを願う人も多かろう。
環境設備の悪い当時の精神病棟で30年の長きに渡って閉じ込められる苦痛。
見放した家族を責めるべきか、最大の原因となったロダンを糾弾するべきか。
私には容易に答えが出せない。
最後にすっかりこの著者に魅了された私は他の作品も読むのだ。
 
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