愛に恋

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危機の外相 東郷茂徳 阿部牧郎

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書棚を見ている。
外務大臣経験者の本を過去、何冊読んだか?
 
広田弘毅 野村吉三郎 松岡洋右 東郷茂徳 重光葵
他に首相が一時、兼任している場合もあるので。
 
 
意外に読んできたと思うが、やはり最も激動期にして困難な役割を担った外相と言えば迷わず東郷茂徳と答える。
何しろ、開戦、終戦内閣と国民の命運を左右する重大局面での外相だっただけに、その後半生の人生には非常なる興味がある。
しかし、惜しむらくは一般的にはあまり知名度がないのも確かなようで、ポーツマスでロシアのヴィッテ相手に交渉をした小村寿太郎や軍部から軟弱外交と謗られた幣原喜重郎も大変だったらろうが、日米開戦だけは避けようと努力した東條内閣の外相として、また国家滅亡の危機に瀕し、ポツダム宣言受諾に奔走した鈴木内閣の外相として軍部と命懸けで渡り合った東郷茂徳という人の評価は足りないようにも思うが、それもこれも戦犯という憂き目に遭ったためか。
 
東郷には獄中手記として死の間際まで書き継がれた大著『時代の一面』という本があるが、おそらく現在は絶版ではなかろうか、古書店でもあまり見かけない。
その貴重な本は我が家にあるが、それはいずれ読むとして、そもそも東郷の伝記本の存在そのものをあまり聞かない。
阿南陸相とのあの激しい遣り取りも今や昔と言われては何か寂しい。
まあ、それも時代の流れか暫く手つかずの状態にしておいた今回の一冊、いつまでも捨て措くというわけにもいかず重い腰を上げて手に取った。
 
さてと、まずは開戦だが、これまで、多角的な立場からこの問題を読み漁って来たが、いくら読んでもどうも釈然としない。
曰く、一体、開戦に至るボタンは誰が押したのか。
ドイツとは様相が異なり、ひとり東條が押したわけではないところに、この問題の悩ましさが秘められている。
多くの人が証言しているように開戦となれば、まずは奇襲作戦が功を奏し、半年や一年は大丈夫だろうと言う意見は確かに一致してる。
しかし、アメリカとの工業力の差は約20倍。
いずれ攻守所を変えた時はどうするか。
日露の開戦前、児玉源太郎は首相の桂太郎に確かこんなことを言っていた。
 
「旗の上げ時をお間違えないように」
 
そう、そこなんですよね!
どの段階で戦争を終結するか。
そもそも長期戦などで勝てる相手ではなく、ましてやワシントン陥落などは想定外。
戦争は始めるのは簡単だが、どう終わらせるかは至難の業。
太平洋戦争全般を見ていると、サイパン玉砕以降、決断次第では何度も終戦に至る局面があったように思う。
だが、誰も旗を上げようとしなかった。
いや、上げれなかったと言った方が正しいか。
それは良くも悪くも日本人の特質なのかも知れない。
 
確かに白旗を上げるには勇気がいる。
昔から「城を枕に討ち死に」などという言葉もあるが上げたものはテロの対象にも成り得る。
下手をしたらクーデターさえ起き兼ねない。
東郷外相は開戦前に言っている。
 
「敵は外にあるのではなく内にあるのだ」
 
男子、一生の仕事としてこれほどの重圧に苛まれた人も稀だ。
野村吉三郎駐米大使に提示されたハル四原則を巡っての困惑。
三国同盟の束縛と日ソ中立条約の幻想。
南部仏印への進駐。
在米日本資産凍結。
石油、対日輸出許可制と、まるで足枷でも嵌められるようにしての日米外交。
 
御前会議で交渉が11月末までに成立しない場合の対米英戦争突入。
ルーズベルトは戦争を望んでいるかのようなハル・ノートの衝撃。
到底、日本側が受諾できない旨、承知の上の提案としか思えない。
先方の出方を見極めるというよりは、如何にして日本側から戦端を切らせるか、ルーズベルトとハルの強かな思惑が見え隠れする。
欧州戦線に介入し、日本を含むファシズムの打倒。
ルーズベルトは二正面作戦でも勝つ自信があったあのだろう。
ハル・ノートは宣戦布告書ではないが多分に最後通牒の意味合いを含んでいる。
そして、結果的に騙し討ちのようになってしまった開戦。
 
東郷外相としては国際法に則って交渉打切りを米国に通告するものと思っていた。
しかし、海軍側から奇襲をやるので外交交渉は続けてほしいとの要望もあり、勝利を第一義と考える以上、仕方のないことだと説得される。
野村大使からも交渉打切りの通告は絶対必要だと言ってきている!
眠れる獅子を覚ませてしまった!
 
鈴木内閣で再び外相に起用された東郷と内閣にとって終戦への秒読みは7月27日午後7時頃から始まる。
短波放送から流れる連合軍からのポツダム宣言
28日、新聞は一斉に宣言を掲載。
ただし、政府見解は載せず。
ここで重要なのは所謂ポツダム宣言、黙殺」という新聞の見出しは政府見解ではなく各紙がそれぞれ勝手に載せたことだとある。
しかし、アメリカ側はそうは取らず当然、政府の公式見解だと解釈した。
 
そして6日の広島、9日午前4時にはソ連参戦を知り、正午過ぎ閣議中に長崎の原爆投下の報がもたらされる。
議論は解決に至らずポツダム宣言受諾に対しての東郷と阿南の対立。
軍の要望は国体護持は勿論、他に三つある。
 
・占領は小範囲かつ短期間
武装解除は日本側で行う
戦争犯罪人の処罰も日本側で行う
 
当然、東郷は承諾せず、もはや、そのような都合のよい条件を連合国側に突き付ける時期は過ぎたと。
 
御前会議が開かれ御聖断、玉音放送、そしてクーデター未遂。
まさに日本の一番長い日は続き、日本史上、これほどスリリングな局面での外務大臣は他にいまい。
多難な外交問題に直面した東郷の心労は如何ばかりであったか。
勿論、対する阿南陸相も含め真に日本人が忘れてはならない時代の側面だった!
 
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