愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

名探偵の生まれる夜 大正謎百景 青柳碧人

昭和31年3月25日、東京八重洲平塚らいてうは東京駅にほど近いデパートの催し物会場で、山下清の初展覧会を見たついでに本人を紹介され、2人は初対面で、らいてうが「山下さん、この貼り絵の海は、茅ヶ崎ですか」と訊いたことから、話は思わぬ方向にずれていく。山下は海のことより、貼り絵に使っている千代紙のことを話、もともとパン屋のおばさんから貰った、姉さま人形だと答える。それを聞いたらいてうは長く忘れていた気持ちが、すっ、と胸の中に入り込んでくる。昭和29年4月22日、東京、調布、山下清は道端の石に腰掛け、スケッチブックを広げたまま空腹に耐えかねていた。すると「あら、あなたどうしたのこんなところで」と言って、新宿中村屋相馬黒光に声をかけられた。家に連れていかれ、たらふく食べさせてもっているうち「アナタ、放浪の天才画家、山下清さんじゃないの」と言われ、話が弾み、その姉さん人形を黒光から貰ったという。大正12年9月13日、東京、新宿、相馬黒光は夫と共に地震パン、地震パン」と言いながら震災で飢えた人たちにパンを売っていた。そこに「失礼ですが」と言って子供を連れた小柄な伊藤野枝が現れ、6月に有島武郎と心中した波多野秋子から預かったものが姉さま人形で、野枝の愛人、大杉栄のヨーロッパ渡航の費用1000円を出したのが、秋子の愛人有島だったことからの縁らしい。大正8年1月4日、波多野秋子は神楽坂の芸術倶楽部へ島村抱月を亡くした後の松井須磨子に会いに行った。須磨子の演技に感動した秋子は彼女の本を作ろうと思い許可を貰いに行ったが、その時に『青鞜』の編集人だった尾竹紅吉が作ってくれた姉さま人形を渡され、コーキチの知り合いに渡してくれと須磨子から預かった。大正元年11月15日、東京雑司が谷鬼子母神。紅吉は平塚らいてうと同性愛関係だったが、らいてうが若い画家の奥村博史と愛人関係になったため、らいてうと別れたという話を長沼(高村)智恵子に打ち明けていた。そのとき紅吉はらいてうとの思い出の姉さま人形を智恵子に渡し去って行った。尾竹紅吉が愛しいらいてうの背中にもたれ折り紙を折っていたのは、大正元年8月20日、神奈川茅ヶ崎。その後、紅吉は結核で名高い南湖院に入院。再び昭和31年3月25日、山下の話を聞きながららいてうは遠い昔、あの大正時代のことを想い耽るのだった。本書は八篇からなる小説で明治大正の文豪を取り上げ、ややミステリー仕立てで書かれているが、最後の「姉さま人形八篇」のあらましを書いたが、ここに書かれている『青鞜』を取り巻く女性陣の「姉さま人形」の話は本当だろうか。