本書は表題『槐多よねむれ』となっているが、中編八話からなる本で、全体的には少し尻切れトンボのように、どれも小難しくして中途で終わっているのうな気がする。
特別強く印象に残る作品もなかった。
槐多よねむれに関してだけ少し長くなるが、引用してみたい。
「雨まじりの雪がどしゃぶる叢にのたうち廻って果てた彼の死が他殺であると信じること出来た。関根正二の夭折は他殺ではない。彼は他者との軋轢なくしておのが胸血をしぼり出し、ぬりつけ、マッチでぼうと燃やしたのだ。槐多の夭折が、いま私の胸を打ち、瞳孔を刺激して止まないのは、ただひとえに青年槐多が、大正という霧深い時代の岩盤に触れたがためなのだ。彼の詩集にひびく解放への歌と、絵画に潜む沈鬱な表情との二元は、私たちと槐多とを結ぶ絆ともなる、われわれは、霧深い彼方からさしのべる槐多の手を握ることが出来るのだ。ああ、この手がもっと伸びれば良いものを・・・槐多よねむれ・・・」。
村山槐多が他殺とはどういうことだ。
何故、そう思うのだ。
「彼の詩集にひびく解放への歌」とあるが、彼の全集も読んだが私には、そう感じられるところがなかったが。