坪内逍遥の日記を読むには現代人にとって苦痛に満ちている。
匹婦の衷情憐れむべし 談漸く贈与金の事に渉り 予が土産を与ふるに及びて 潸然(さんぜん)落涙 声を呑んで喜び謝す
予曰く 予は卿に対して表向きは無関係の人なり 毎月の贈与は仙子の志なり されば例月の金額だけは卿の此世界にあらん限りは 仙は義務として贈るべし 況んや生誕の恩あるをや仙のは卿の生む所なりと雖も 殆んど卿が子にあらず 幼にしては他人に養はれ 人となりては苦界に沈めらる 卿それ之を思へ 民女喜泣 戸税を収めたる役場の書附を取出し来り(略)
まあ、つまりは逍遥が愛知県にある妻の実家を尋ね、これからも月々の手当てはそれなりに出すが妻とは親子の縁を切ってくれと言っているわけで。
娘を女郎屋で働かせておいて今更、親の顔をされても困るというわけだ。
娘とは逍遥の妻のこと。
そして最後はこう結ぶ。
行々は家屋の不潔ならざるものを購ひ 之を此親子に与へん
金銭を与ふるは易けれども 其一時なるを奈何せん
万感こもごも起る
筆紙之を記すべくもあらず
靉靆覚えず濡ひぬ わきも子の衷情を察すれば也
最後の一行!
何やら難しい漢字だが拡大するとこうなる。
靉靆
靉靆覚えず濡ひぬ わきも子の衷情を察すれば也
あいたいおぼえずうるほひぬ、と読むが、果たしてこれら最後の記述を何と訳す?
靉靆とは、
「雲や霞などがたなびいているさま。真直に立ち上る香の煙」
という意味で、一見、長閑な田舎の風景も、このような貧しい親子の窮状を見ると周りの美しい景色など心には何の潤いにもならない。
子供には罪はなく、今後の行く末を思うと何とかしてやりたいが、ただ金銭を与えればいいというものでもない。
複雑な思いに駆られるが何をどう書いてよいかも分からない。
こんなところだろうか!?