確か先述した本では、いきなり公開離縁状を新聞に投稿した場面から始まるようだったが、今回は白蓮こと本名宮崎燁子が炭鉱王伊藤伝右衛門に嫁ぐとこから始まっている。
本書は1995年に第八回柴田錬三郎賞を受賞で、なるほど、宮崎家から提供された700通に余る白蓮・龍介の往復書簡を紐解きながらの小説化とあっては、大著が出来たのも頷ける。
出会いの始まりは、初対面の3日前、大正9年1月28日、燁子が別府の別荘に滞在中、届いた次の電報から始まる。
「コンゲツウチニソチヘユキマス」
今日まで残るこの一通の電報が、大正の世を騒然とさせた一大恋愛スキャンダルになろうとは、誰想像した人があろうか。
燁子が出奔した当時、伝右衛門は博多天神に大豪邸を建設中であった。
敷地5200坪、建築費80万円、それに狩野元信の襖絵を広間にはめる予定であった。
ただ、作者を狩野孝信とするものがあるが、本書では狩野元信となっている。
さて、話を戻すが、燁子はただ金持ちというだけで兄に因果を含まれ、好きでもない男の下へ博多くんだりまで嫁いで来たはいいが、どうも生活に馴染めぬ。
そこで、こんなことを書いている。
彼の女もまた多情多恨の人、恋を謳ふこと既に幾十百種、頑屈な儒家などにその歌の一つ一つを見せたなら、彼の女既に空しといって、擂鉢のやうな眼を剥かう。
燁子は、夫が読み書きを出来ないことをいいことに、好きなように恋の歌を詠み投稿している。
思ひとは女と訓(よ)むか人の世の凡てのものを情と訳(と)く
ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらず生けるかこの身死せるかこの身
何れにしても大正時代には姦通罪があり、伝右衛門がその気になれば龍介を訴えることも出来たが、それはしなかった。
このあたりは男の意地なのだろうか。
大正時代、地位向上を訴えた戦闘的な女には恋が付きも。
今と違って携帯やラインの出来ない、手紙だけが意志疎通を確かなものとする時にあっては、さぞ、ヤキモキする毎日であったろうことは想像に難くない。
私みたいなせっかちでは、もう身も悶えるほどの苦しみだろう。
それ故に、恋も熱い火の玉となって突進していくのではなかろうか。
その苦しいほどの胸の内を伝えるのが文学ですね。
それらのことを掘り起こし、考えてみるのが読書ということになるか。