こよなく酒を愛した唐代の中国詩人、李白は『春夜桃李の園に宴するの序』の中でこんなことを言っている。
光陰者百代之過客
光陰は百代の過客なりと読む。
おそらく、それを知っていた芭蕉も『おくのほそ道』に曰く。
月日は百代の過客にして 行かふ年も又旅人也
と書いている。
百代とは「何代にもわたる」意から、永遠と訳し、「過客」は、通り過ぎてゆく人、旅人という意味で、即ち、光陰は百代の過客なりとは、月日というものは永遠の旅を続ける旅人のようなものである、ということになるか。
しかし、漢字文化、ここに極まれりですね。
本当にに中国の先人の言葉は美しい。
因みに李とは「すもも」のことだが、李白とは、白いすももでいいのだろうか。