愛に恋

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板倉槐堂筆「梅椿図」

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15年程前だったか、京都博物館にこの有名な掛け軸を見に行ったことがある。

新しく発見されたという、お龍の若かりし頃の写真と同時に歴史の証人として貴重な遺産をこの目で見て感慨深いものがあった。
この掛け軸は板倉槐堂筆「梅椿図」というものだそうな。
事件当日、現場に居た菊屋峯吉の証言によれば掛け軸を背に座っていたのは竜馬で、今日、科学的な調査すると以下のようなことが見えてくるらしい。
 
まず、血痕が付いている位置は床から60㎝程度のところ。
つまり太刀筋が竜馬の目線の延長戦上に飛び散っている。
これは何を意味するか、刺客が正座のまま斬り抜いたことになる。
同時に竜馬には警戒した素振りが見えない。
昔から言われるように、刺客を客人として迎え入れたか。
 
なぜ、近江屋なのかということにもわけがある。
通りを挟んで向かいには土佐藩、裏には称名寺という寺があり、土間を通り抜けて逃げられるようになっていた。
しかし現在、そんな寺はあったかな。
 
まあいい、竜馬と親交のあった永井玄蕃頭は幕府大目付で、大政奉還後も慶喜の政権参画をめぐって、近江屋からわざわざ1時間の距離を、毎日のように永井を訪問していた。
永井邸の近くにあったのが松林寺という浄土宗の寺。
ここは見廻組組頭佐々木唯三郎の下宿で、寺田屋事件の時に二人の捕り方を殺害した竜馬は、いわば幕府のお尋ね者。
佐々木は配下400人の中から精鋭として、先ず桂早之助という男を選ぶ。
流派は西岡是心流で、教えとして、 
 
右は小竹刀(こじない)にて使うなり
 
通常は長太刀を持つ右手に小太刀を持つという特殊な二刀流儀。
その小さな刀が威力を発揮するのが狭い部屋での戦闘。
ただし佐々木の命令は殺害ではなく捕縛であったとのちの調査で分かっている。
 
「此度ハ不取逃様捕縛スベシ」
「萬一、手余候節ハ打果スベシ」
 
桂早之助が当日使用した小太刀の長さは42cm。
慶応3年11月15日、この日、竜馬捕縛に参加したのは七人でよく知られている今井伸郎と渡辺篤も加わっている。
 
二階奥の八畳の間に居た竜馬と中岡に対面したのは桂ただ一人で、他の三人は下の主人夫婦が騒ぎ出さぬよう見張り役、あとの三人が二階で待機。
事件直前、用心棒役の藤吉を斬ってしまったために計画が狂い、極度の緊張を強いられた桂がとった行動は・・・。
差し出された名刺を覗き込む竜馬の眉間を真横に一文字に斬撃。