WE LOVE SAS サザンオールスターズが40年も愛される48の秘密

 
先日、行きつけの紀伊国屋ではなく、立ち寄った先の本屋に岩波新書があるか、それらしい所に脇目も振らず一直線に進み、目的の物を買って、さっさと帰ろうと思った一念で目指した先に・・・、やはり獲物はあった。
ピンポイントでゲットした喜びにほくそ笑みながら、レジに向かったまではよかったが、何気なく通路横の芸能コーナーの棚を見たのがいけなかった。
何、サザンとな!
サザン関連の新刊本が出たのか。
余分な買い物とは思いながらサザンなら仕方ないと二冊買って帰ったが、読んでみるに目新しい情報はこれといって何もなかった。
 
思うに、桑田が食道がんを克服して退院してから8年にもなる。
あの日、桑田が紅白に出るというのでテレビの前で待ち構えていた。
現れた桑田は顎がとがり、5キロは痩せたかという風貌だったが、彼を見た瞬間、思わず怒鳴ってしまった。
 
「バカ!クワタ!」
 
その後に襲い来る私自身の大病を知らぬがままに。
大病を経験すると性格が変わるなんていう人もいるが、桑田はある雑誌のインタビューに答えてこのように言っている。
 
「あと何年歌い続けられるか、と考えたら残りの時間は限られているのだと。だったら毎日を充実させて精一杯きちんとやりたい」
 
大病を機に家族やスタッフ、メンバーへの見方が大きく変わったとも言っている。
そうなんですね、優しく、丸く、角を取っていかねければならないんです。
もちろん動植物にも優しく接しなければ。
 
ともあれ、あれから40年の月日が流れたわけだ。
語り継がれるあの日、私も偶々『ベストテン』を見ていた。
黒柳徹子の質問に桑田は弾けるように叫ぶ。
 
「いえ、ただの目立ちたがりの芸人で~~~す」
 
と一声、下品で腋毛の濃い男の出現に、いよいよ阿保の時代の到来かと嘆かわしいばかりだった。
79年リリースの『いとしのエリー』は確かにいい曲で71万も売れたが、どの道、一過性の線香花火みたいのものだろうと思っていた。
80年、ファイブ・ロック・ショーと名付けたリリースの記録を見ても分かる通り、
 
2月21日 『涙のアベニュー』 87,000枚
3月21日 『恋するマンスリー・デイ』55,000枚
5月21日 『いなせなロコモーション』98,000枚
6月21日 『ジャズマン jazzMan』37,000枚
7月21日 『わすれじのレイド・バック』34,000枚
 
とさっぱり売れない。
だからというわけではないが、当時の私は洋楽専門でサザンみたいな腑抜けバンドには興味がなかった。
だが、86年、クワタバンドが放った『BAN BAN BAN』と『スキップビート』を聴いて考えが一変。
更に、89年、郡上の徹夜踊りに向かう彼女の車の中で聴いた『旅姿六人衆』でボディーブローを食らい、翌年、新たに登場した彼女が持って来たサザン・カセットに入っていた『Oh! クラウディア』でクロス・カウンターを食らってダウン!
そして2003年、建長寺ライブを見て爆発。
以来、収集癖が出て、ライブはもちろん、新聞、録画、雑誌、書籍、CD、ビデオ、ポスターと骨まで喰らう日々を送っている。
 
人類学者の中沢新一は言う。
 
桑田さんの音楽事態が不埒です。桑田さんを初めて見たとき、こんなに面白い不埒が出て来たと興奮しました。もちろん褒め言葉ですよ。
 
しかし、40年といえばいろいろありますね。
桑田じゃないけど健康管理に気を付けて、充実した人生を送って行きたい、読書やブログもその一環なんです。
 

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