愛に恋

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夢声戦争日記〈第1巻〉昭和16年・昭和17年 上

 
全七巻に及ぶこの日記は開戦当日から始まる。
著者は日清戦争が始まった明治27年生まれで、10年後の日露戦争、更に10年後の
第一次大戦、そして満州事変、日華事変、太平洋戦争と私たちの世代と違って戦争の表も裏もうんざりするほど見て来たと言っている。
 
また、日独伊防共協定、国家総動員法、国民徴用令公布、ノモンハン事件大政翼賛会と、一日として神経の休まる時がなかったとぼやく。
しかし、まだ開戦当初。
「勝った勝った」と国民は祝賀に踊り12月10日、マレー沖海戦日本海軍機の攻撃を受けてイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスの撃沈、更にコレヒドール要塞の陥落やシンガポール、ボルネオ、南洋諸島の占領、シドニー空爆とあまりの快進撃に夢声ならずとも国民は驚いている。
 
ところで昔、読んだ本に確かこんなことが書いてあった。
戦争とはサッカーの試合のようなものであると。
つまり、ボールが集まっている所には両軍入り乱れて玉の取り合いをしているが、遠く離れた場所にいる選手は殆ど何もしていないと。
 
確かに、日記に散見するのは多少なり食料事情が悪くなったとは言え、家族の生活や日々の仕事など戦争状態に突入しているとは思えないような日常の出来事。
それはそうだろう。
戦地は本土から遠く離れた外地ばかりで新聞を通して戦況を知る程度では実感が沸いてこない。
 
日々の記述は何を食べた、誰に会った、仕事の打ち合わせ、庭に花が咲いた、何処どこへ講演に行った、家族、犬、お土産、貰い物と通常の生活と何ら変わりがない。
しかし、帝都、初の空襲についてはこのように書いている。
 
昭和17年4月18日。
空襲警報聴く、ははア、愈々お出でなすったか!
と思ったが少しもピンと来ない。
高射砲の音が時々響いてくるが、いかにも間の抜けた感じだ。
私は西の窓から、物干台で空を見上げながら洗濯物を干している俊子に、
「一体、本当なのかねえ」と大声で訪ねた。
 
講談社から電話があり
「只今、本社の上空をスレスレに通り、早稲田方面に爆弾を落としているのが、よく見えましたよ」
やっぱり本当だったのか!
 
この心境はよく解る。
明治以来、何度も戦争をしてきた日本だが嘗て空襲という経験がなにのでピンと来ないのはあたりまえだろう。
これが所謂、ドーリットル隊の初空襲である。
その後、ミッドウェイ開戦を迎え、日本海軍は大敗したわけだが多くの国民はそれを知らなかった。
 
それはそうと、この本は古書だが、先の持ち主は余程の勉強家だったのだろうか。
至るところ赤ペンで書き込みだらけ。
人物名はご丁寧に四角で囲うという念の入れよう。
一体、どんな方の所蔵だったのか。
既に絶版になっている本だが、或は先代の持ち主も今は鬼籍に入られたか。
しかしまあ、先の長い本でもあることからして他の本と交互に読んで行こうと思う。
意外と日記というのは読み手には退屈な場面も多い故。
 
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