愛に恋

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ワルシャワ蜂起1944(上): 英雄の戦い

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第二次大戦は自由都市ダンツィヒのドイツへの編入要求と、ポーランド回廊を通過し東プロイセンとドイツ本土を結ぶ治外法権道路建設の要求を強めたドイツに対し、ポーランド政府は要求を拒否。

ここに大戦の火ぶたは切って落とされたわけだが、両国の死者は何とドイツ軍6万人、ポーランド軍21万6千人、ソ連軍1万1千5百人と膨大な数ではないか。

たった5週間の戦いだっただけに意外に簡単に済んだように思えたが壮絶な戦争だったわけだ。

何しろポーランド軍は150万人からの軍隊を投入したとあるから攻めるドイツ軍も必死だ。

当時のポーランドは貧困と人口過剰、そして世界のユダヤ人の4分の1を抱えていたとうで、そのワルシャワが陥落したことによりヒトラーは部下に、ポーランドでは可能な限り残忍に行動することを命令したとある。

戦争終了後にポーランド市民とユダヤ人合わせてどのぐらいの死者が出たか知らないが、人間以下と見做された両者の生存を賭けた戦いは残虐で壮絶なものだっただろう。

とまれ、本書上巻を読むのは大変で、他の本と併読して読んでいたので、正月以来、今日までかかってしまった。

だた、実際のワルシャワ蜂起に至る1944年8月1日17時まで到達するには、377ページまで読み進まなければ本題に入れない。

扨て、明日からはやっと下巻。

クロード・モネ Part.19 

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《エトルタのアヴァルの門》(1886年島根県立美術館

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《りんごとぶどう》(1879-1880年メトロポリタン美術館

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《ヴァランジュヴィルの風景》(1882年) ポーラ美術館

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《ヴェトゥイユ、水びたしの草原》(1881年笠間日動美術館
 

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 《ポワシーのセーヌ川の釣り人》(1882年)

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《死の床のカミーユ》(1879年) オルセー美術館 

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《荒天のエトルタの崖》(1883年) モンセラー修道院美術館

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《クルーズ渓谷(日没)》(1889年) ウンターリンデン美術館

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《緑衣の女》(1866年) ブレーメン美術館 

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《コロンブの平原,霜》(1873年新潟県立近代美術館
 モネさん、《死の床のカミーユ》という作品は、これで仕上がっているのですか。
どうもそうは見えないのですがね。
下半分が何だかよく分かりません。
これも印象という技法のひとつだからですか。
まあ言うなれば、さぁさーと描いたみたいな。
これでいいなら挑戦してみようかな。

訃報 ナタリー・ドロン

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フランスの女優ナタリー・ドロンが1月21日、がんのためパリで死去したとAFPが報じた。79歳だった。

1941年モロッコ生まれ。

1963年に『黒いチューリップ』を撮影中のアラン・ドロンと出会い、恋に落ちる。両者は子供時代の境遇が酷似しており、強く惹かれあったとされる。アラン・ドロンは、ロミー・シュナイダーとの長い婚約生活を終わらせたことで、フランスの芸能メディアから叩かれた。ナタリーはアラン・ドロン1964年に再婚し、アランとの間に息子のアントワーヌを儲けたが、夫妻のハリウッド滞在中にエリザベス・テイラーと離婚したばかりのエディ・フィッシャーとも浮名を流した1967年アラン・ドロンが主演したサスペンスサムライ』に出演。日本では翌68年に出演した、ルノー・ベルレーとの共演作『個人教授』で人気が上昇した1968年にはアラン・ドロンと別居したがその原因は、女優業継続を希望したナタリーに対して、アランが継続に反対だったことによるものだった。

 

ロミー・シュナイダーとナタリー・ドロン、どちらが魅力的な女性かは何とも云いかねるが、今やどちらも故人。

然し、どちらも魅力的な人でしたね。

ご冥福をお祈りしたいと思います。

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー 1834 年7月11日 - 1903年7月17日 

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《自画像》(1872年頃)

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《青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ》

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《紫と金色の狂想》(1864年

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《ピンクとグレーのノクターン

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《氷に覆われたテムズ川

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《黒と金色のノクターン-落下する花火》

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《灰色と黒のアレンジメント-母の肖像》(1871年

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《灰色と銀 バタシーの海岸》(1863年

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《黒のアレンジメント No.5 レディ・ミューズの肖像》(1881年) ホノルル美術館

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チェルシーの雪》(1876年) ハーバード大学美術館

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《白のシンフォニーNo.2 - 小さなホワイト・ガール》(1864年
耽美主義の代表的画家とも目されるホイッスラーの絵画は、現実世界を二次元平面に再現することよりも、色彩と形態の組み合わせによって調和のとれた画面を構成することを重視していた。作品の題名に「シンフォニー」「ノクターン」「アレンジメント」などの音楽用語を多用することも、絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成る自律的な芸術だとする彼の姿勢の反映といえよう。こうした彼の絵画に対する考えは、印象派セザンヌなどに通じるものだが、ホイッスラーの用いる色彩は地味で、モノトーンに近い作品も多く、光と色彩の効果を追い求めた印象派の作風とは一線を画している。
 
そう難しいこと言いなさんなって。
こっちとらね、美術理論なんて分からないんですよ。
ホント、書く方も書くほうですよね、そんなこと言われたってちんぷんかんぷん。
多くの人が分からないと思いますよ。
例えばこんな感じ。
う~ん、薄くぼやけた印象だな。
いつもこう幕が張ったように描くのはそれが個性だから。
これでいいでがすよ! 

ブリジット・バルドー Part.7 

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1955年

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1968年

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1965年

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1959年

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1958年

バルドーさん、教えてくださいよ。

貴女の男性遍歴が知りたいんです。

誰も教えてくれないんですよ。

いったい何人の男を知っているんですか。

知ってどうするかって、だからどうだっていうことではないんですけど、知りたいんです。

その上でお付き合いしたいと思いますが如何ででしょう。

勿論、私の女性関係も正直に話しますから。

【50歳力士 116年ぶり勝ち越し】

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【50歳力士 116年ぶり勝ち越し】

現役最年長50歳、東序ノ口9枚目の華吹が勝ち越しを決めた。

50歳以上の力士が勝ち越すのは、1905年5月以来、116年ぶりになる。

 

相撲には結構詳しいと思っていたが、まさか50歳の力士がいるとは思わなんだ。

然し、東序ノ口9枚目では衣食住には困らないにしても給金がないではないか。

よく頑張ってるね、応援したくなっちゃう。

エゴン・シーレ Part.7 

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《グリーンストッキング》(1914年) 個人蔵

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《家族》(1918年) オーストリア美術館

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《縞模様の腕カバーの自画像》(1915年) レオポルト美術館

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《クルマウタウンクレセント》 《1915年)

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《吹き荒れる風のなかの秋の木》(1912年) レオポルド美術館 

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《聖家族》(1913年) 個人蔵

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《アーサー・レスラー》(1910年) ウィーン博物館

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《広げた指の自画像》(1909年) 個人蔵

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《枯れ木、家々とビルトシュトック》(1907年) レオポルト美術館

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《ひまわり》(1911年) アルベルティー
仕入れさん、間違えました、シーレさん、アナタがスペイン風邪で奥さん共々亡くなったのは本当にお悔やみ申し上げます。
残念でしたね、本来ならまだ何十年もの人生が残っていたはずで、どれだけの絵を残したかもしれないのに。
それにこの、ごつごつ、くねくねの個性的な絵ですからね。
「一目でわかるエゴン・シーレ」というキャッチフレーズはどうでしょうか。
ともかく、ロック界で言ったらジャニス・ジョプリンやジミヘンみたいなものですよ。
またお会いしましょう。