愛に恋

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リンダ・ダーネル 1923年10月16日-1965年4月10日 41歳

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アナタ、いつまでも美しいままですね!

私、初めてアナタを見たとき、メキシコ人かと思ったのですがアメリカ人なんですね。

酒場の女というイメージにピッタリで、一目惚れしたのを知っていますか。

そうそう、一番下の写真です。

荒野の決闘』で、横にいるのはヴィクター・マチュアですね。

長い間、アナタに交際を申し込もうと機会を伺っていました。

有名監督からぞくぞくオファーがあって、なかなかチャンスが巡って来ないと焦っていたある日、アナタの死亡記事を見て愕然としました。

二回目にアナタに会った時に、それとなく注意したのを覚えてますか。

「寝煙草には気を付けてよって」

そしたらアナタ「分ってるわよ、そんなこといちいち言われなくたって」

と答えてましたけど、守ってくれなかったんですね。

煙草の不始末が出火の原因なんて信じたくない。

リンダ、愛しのリンダ、なんてバカのことを。

 

 

上も極楽、下も極楽

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明治28年10月6日、この日の伊予松山は快晴だった。
正岡子規は友人の漱石を連れ立ってこの寺に来た。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%8E%B3%E5%AF%BA_(%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82)#/media/

 

宝厳寺に謁づ。一遍上人御誕生の霊地とかや。古往今来当地出身の第一の豪傑なり」

 

と述べ、

 

「山門に腰うちかけて」

 

一句詠んだ。

 

色里や 十歩はなれて 秋の風

 

山門から下は、明治の昔は色里、つまり遊郭だったらしい。
誰が言ったか階段を挟んで上と下。

 

「上も極楽、下も極楽」


なるほど!風情ある当時の佇まいを一度見たかった。
どんな色恋沙汰がこの界隈にあったのだろうか。
正史に載らない庶民の歴史、みんな秋の風がさらって行ってしまったか。

 

色里や 是非も行きたいや 伊予の国

 

ダメかかな、これでは!

 

ジョン・メイラー・コリア 1850年1月27日-1934年4月11日 84歳

 

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《ジョン・コリアの肖像》(1882年 - 1883年)     

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チャールズ・ダーウィン》(1881年

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リリス》(1892年)

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《告白》(1902年)

ラファエル前派の主に肖像画家。

この『告白』という作品、雰囲気出てますよね。

思うに、二人が夫婦だとしたら妻の方が夫に何か告白したように捉えたのだが。

 

「ねえアナタ、どう思う?」

「・・・」

「黙っていたら分からないじゃないの」

「・・・」

「ねえ、どうなのよ」

「急に言われてもね・・・」

「アナタだって分っていたはずよ、いつかこういう日が来ることは!」

「そりゃあさ、最近上手くいってないということは気が付いていたけどね」

「いたけど、どうなの」

「うん・・・、然し、子供たちはどうするんだ」

「勿論、私が連れて行くわよ」

「ということは、私はこの家に独りということになるね」

「当分、姉のスーザンに来てもらえばいいじゃない」

「それとこれとは別だよ」

「だってもう私の心はもうジョージの方に向いているのよ」

「ジョージは何て言っているんだ」

「君がその気なら受け入れるって言ってくれてるわ」

「・・・」

「ねえ、仕方ないのよ私たち、別れましょ」

「なんでこんなことに・・・」

 

まあ、こんなこと書いていたら永遠と続きそうなので、ここいらでお開きと。

然し、ダーウィンの絵もお見事、写実的に書いているなら、この通りの人だったのだろう。

 

 

 

脇役本 増補文庫版 濱田研吾

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人知れずと言っては失礼だが、新聞の死亡欄などに小さい写真で掲載される俳優さんの死亡記事を見ては、「あっ、この人知ってる。よく時代劇で見た人だ」なんていうことがある。
それまで名前さえ存じ上げなかった、まことに不勉強な私であって、知らないのはこちらばなりで、本人は脇役人生を貫き、ここに謹んでご冥福を祈るばかりなのだが、以前から思うに、それらの人たちは戦前、戦中、戦後と如何な人生を歩んで来られたのか非常に興味があった。
 
出来得るならば、生前に残した自叙伝やエッセイなどあれば読みたいと常々思っていた矢先、本書の発売となって嬉しい次第だ。
然し、買ったはいいが長らく積読状態に置いたままで大変失礼致しました、やっと読了。
だが、頁をめくるに、てっきり映画俳優ばかりだと思っていたら豈図らんや、新国劇、新派、歌舞伎など役者と名の付く職業ならなんでもござれと来たから、意外と読むのに時間がかかった。
 
著者はおそらく脇役好きとしては日本一というぐらいの博識で、古書店を巡っては彼らが残したであろう著書を、例え冊子であっても、あらん限り探しに探しまくった。
その労力たるや恐るべし。
それだけではない、脇役の悲哀か、ほんのチョイ役でも出演したという映画なら、必要な限り見る努力を惜しまない、例えどんなに古いものでも、存在する限りは追い求める。
趣味というのは、ここまで徹底してこそ本物ですね。
私も見習いたい。
 
人に歴史ありと雖も、一人ひとりの足跡を調べるのは至難の業だが、本書を読むと面白いエピソードが沢山載っている。
例えば小暮美千代さんは遺言として長男に、
 
「棺の中に電話機を入れてほしい」
 
と言付けたとある。
亡き夫の居場所が分からない時、104に電話して調べるという。
ちょっと悲しい遺言ですね。
 
内田良平のやさぐれ交友録』なんていうのも読んでみたい。
天地茂の親友、茶川一郎の『旦那との思い出』、お目にかかれない本ですね。
男はつらいよ』でよく出て来た旅芸人一座の座長、昔、よく時代劇で見た人だと思っていたが吉田義夫という名前なんですね、初めて知った。
 
行くことはないと思うが、下北沢駅北口から歩いて数分の所に「珈琲専門店 カフェ タス ヴァリエ」という小さな喫茶店があり、そこにスペシャ山村聰の珈琲」というのがあるらしい、どんな味なのか興味はあるが。
 
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デュアン・オールマンのギブソン・レスポール

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名曲「いとしのレイラ」のエレキギター 1億3300万円で落札の衝撃

 

ロック史に残る名曲「いとしのレイラ」などで故デュアン・オールマンが弾いたギブソンレスポールエレキギターが、このほど米ジョージア州メーコンで開かれた競売に出品され、驚きの125万ドル(約1億3300万円)で落札された。

印象的な前半部分でクラプトンのギターに対し、デュアンはスライドギターで競演した。

名曲は名器と共に。

 

注:本日も3回目の記事になってしまい悪しからず。

荒馬と女 1961年

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『荒馬と女』、観ただろうか。

写真奥からモンゴメリー・クリフトマリリン・モンロークラーク・ゲーブルイーライ・ウォラックです。

ある人によると、この後、イーライ・ウォラックを除く3人は天国へ旅立ったんですね、とあったが、その通りですね。

特にゲーブルとモンローはこの時点でもう晩年だったわけで。

一般的にゲーブルの場合、この映画で体力を使い、心臓に負担をかけたため死期を早めたとまで言われているが。

まさか、そんなことも知らず撮影に臨んだ4人。

イーライ・ウォラックは66年のマカロニ・ウエスタン『続・夕陽のガンマン』の方が或いは彼らしい役だったかも知れない。

私はこのように映画のワンショットを見るのが大好き。

写真の中で彼らはいつまでも永遠。

 

 

木谷千種 1895年(明治28年)2月17日 - 1947年(昭和22年)1月24日

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 《をんごく》1918年

「をんごく」は盂蘭盆に遠国(おんごく)から帰る祖霊を迎える遊戯唄のことで、子どもたちが列をなして歌いながら町内を練り歩く、大阪の夏を彩る懐かしい風俗と解説にあるが、書店でこの絵を見るとこんなことも書いてある。

 

「かつて自分も同じようにねり歩いた昔を偲びながら彼らを見送っている」

 

大正七年、遠い昔のことですね。
風物どころか日本人そのものが変わってしまた昨今。
格子越しに、子供たちを見送っている娘の、その後姿を私は静かに見守っているような心境です。
江戸情緒をこよなく愛した荷風と同じように、この、どこかうら寂しい大正の昔を偲ばずにはいられません。