居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

Ennio Morricone - La califfa

竹下夢二の詩に以下のようなものがある。
 
寝たか寝なんだかと枕に問えば枕もの云ゆた寝たと云た
 
最近、その枕についてこんな記事を読んだ。
子供に訊かれて困る質問。
 
「ねえ、枕営業って何?」
 
これは答えられまい(笑
まさか、枕を売って歩く行商人というわけにはいかない。
 
まあ、それにしても最近は寒くなってきた。
何だか炬燵で丸くなる猫でも飼いたいような心境だ。
孤独の増す師走でもあることだし。
そんなわけで今日は寒そうな曲でおやすみなさい。
 

獄中手記 磯部浅一

 
何で私が磯部浅一の『獄中手記 ・行動記』みたいな本を読まなければいけないかってなもんですね。
そもそも磯部の思想を理解するような頭脳も行動力も持ち合わせていません。
二二六に関しては過去、かなりの本を読んできたが五一五ほど事は単純ではない。
解説を帝京大学文学部長 東京財団上席研究員、筒井清忠という人が書いているが、その中にこうある。
 
「二・ニ六事件については今に至るまで一知半解の不正確な歴史叙述が多い」
 
まったくその通りで、いくら読んでもイマイチ理解できないところがある。
今さら事件の概要を説明するまでもないが、この問題を複雑にしているのは起こった事件そのものより、襲撃後の陸軍上層部が取った行動が二転三転している故である。
本来なら磯部の思想を知る前に北一輝の『日本改造法案大綱』を読むべきだと思うが、とても私には手に負えないので省く。
 
言い訳がましいが、こんな本を読んでおいて何から書いてよいか分らない。
が、読書感想文は必ず書くと決めた以上はやり遂げたい。
大きく分けて後世の歴史家を惑わす原因は四つあるように思う。
 
一、陸軍大臣告示が二種類ある
二、頼みとしていた皇道派の将軍たちを逆に磯部は告訴している点
三、皇道派と統制派の選別
四、奉勅命令の下達
 
まず、二種類の陸軍大臣告示とは如何なるものか?
 
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ
 
これは荒木、真崎、林、阿部、植田、西などの軍事参議官が作成したもを川島陸相名で告示され、山下少将が青年将校の前で読み上げたものだが、問題は二の「諸子ノ真意ハ」が初めは「諸子ノ行動ハ」となっている点を磯部は公判で鋭く突いている。
それもそのはず、「行動」と「真意」では解釈に相当の開きがある。
軍事参議官が「行動」を認めたとあらば諸君の取った行動は正しかったということになってしまい反乱部隊は逆賊にならない。
 
それにも増して事態を複雑にしたのは戒厳司令官の香椎浩平中将によって反乱部隊が戒厳部隊に編入され市内の警備を命じられたので磯部らは当然、「吾人の行動は認められた」と解釈した。
しかしここは最大の問題で磯部は最初に出た告示には「行動」が先だったと言っている。
だが、「真意」が先だという説もあり混沌として解りづらい。
 
二、頼みとしていた皇道派の将軍たちを逆に磯部は告訴している点
 
これは関してはつまりこういうことだと思う。
皇道派将官たちの多くは裁判が始まると青年将校らとの関係を否定しようとした。
これに憤慨した磯部は彼等15名を反乱幇助罪で告発。
のみならず陸軍大将宇垣一成ら9名を内乱予備罪で検事総長に告発状を出したから事態は一層ややこしくなった。
宇垣大将告発は宇垣内閣流産の事を言っているのだが長くなるのでここでは省く。
 
四、奉勅命令の下達
磯部だけではなく青年将校全員が29日までそんな命令は受領していないから逆徒にはならないと強く反論している。
しかし、『本庄日記』にもあるように天皇の逆鱗に触れたことは確かで果たして奉勅命令は出たのか出なかったのか。
 
とにかく「大臣告示は説得案なり」という軍の方便に磯部は怒り狂っている。
しかし私には磯部らの主張が未だに解っていない。
何故、元老、重臣、財閥、軍閥を討つのか。
高橋大蔵大臣に関しては参謀本部廃止論やロンドン軍縮条約に賛成を述べるなど、これは統帥権の干犯になると言っている。
 
渡辺教育総監は前任者真崎総監に反して統制派に属していたからではないか。
更に軍の高官を暗殺するに機関銃を持ってしたこと、斉藤実内大臣に対しては銃弾48発も撃ち込んでいる。
 
ともかく磯部は獄中で書きに書き、告発状を乱発、先に銃殺された15名より遅れること、一年近くも獄に繋がれていた。
その後、村中孝次、北一輝西田税と共に処刑。
 
しかしそもそもこの事件は真崎大将の更迭、永田軍務局長の惨殺などに端を発しているがクーデター成功の暁にはどうしたかったのか。
真崎大将に大命降下がベストだったとも言われているが事件が一掃されて替わって登場したのが寺內壽一陸軍大臣
磯部は事あるごとに寺内を槍玉に上げていた。
 
だが、こんな説もある。
もし、統制派の永田軍務局長が暗殺されなければ東條の前におそらく永田が首相になり太平洋戦争も起きなかったのではないかと。
最後に私個人としては安藤輝三大尉には同情を感じる。
部下の多くは東北の貧しい農家出身で日頃、その惨状を聞いていた安藤大尉は純粋過ぎたと言えるかもしれない。
 
ともあれ、盧溝橋事変は翌年に迫っていた。
 

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Nara Noïan - Hier Encore

玉ノ井と言えば永井荷風滝田ゆうである。
濹東綺譚』と『寺島町奇譚』の舞台として有名だが戦前の玉ノ井に一度行ってみたかった。
荷風が愛した玉ノ井。
滝田ゆうが生まれた玉ノ井。
私娼街だが、あれこそ昭和を代表する街だろう。
それにしても・・・!
嗚呼、玉ノ井!
昭和20年3月10日の大空襲で灰燼に帰した。
何と言うことだ。
しかしである。 
 
 
見に行きた~~~~~い!
もう、終わったのかな。
さらに今月、滝さんの本が出るらしい。
『昭和×東京下町セレナーデ』
買わなくちゃ!
帰り来ぬ昭和。
そんなわけで今日はこの曲でおやすみなさい。
邦題は『帰り来ぬ青春』
 

ドストエフスキー伝

 
まあ、はっきり言って疲労困憊。
736ページという大著もさることながら人名がロシア語とあっては読み辛い。
しかしながら我が町関西ではまず以って見つける事の出来ない本、それを態々、神保町まで行って買ったとあらば解っても分からなくても意地でも読み通さねば、風車の弥七の男が立たねえ(笑
私は文庫本の中でも特に中公文庫を贔屓にしているのだが、時に、このような難物を敢えて選ぶ。
 
・わが友マキャベリ
・炎の人ゴッホ
・観樹将軍回顧録
・ロマノフ家の最期
夢声日記
・堺港攘夷始末
 
さほど学のない私としては2週間ぐらい超過勤務したような気分になる。
まあいい、恨み言はこのぐらいにして、これでとにかく解放される。
トルストイに関しては、以前、その晩年について書かれた本を読んだことがあったので多少は知ってはいるが、ドストエフスキーの生涯に関しては何も知らない。
ただ、何かの理由で収容所送りになったとは知っていたが、その何かとは何か!
それを知りたくて読む気になったのだが、著者は専ら神と文学論の話しが多く、何やら哲学的なこともひけらかし、こちらはチンプンカンプン。
 
一読したところではドストエフスキープーシキンゴーゴリーを評価しているがツルゲーネフとは生涯反目し合ったようだ。
それぞれの思想哲学が分からないので私としては何とも言えない。
 
ところでドストエフスキーの家系は一代ごとに善と悪が入り混じったような複雑な一族で、地方裁判所判事、主教、聖人、少尉と善の系図もあるが脱獄、終身貴族の殺害、公金横領、殴り込みの流血事件、財産横領、つまり盗人、殺人犯、司法官、夢想家とかなり派手な経歴。
当のドストエフスキーに至っては父親が地元で評判の悪徳領主。
1839年6月、3人の農民におびき出さ殺害されるという事態に至った。
 
さてと、ともあれこの本を難解にしているのはドストエフスキーの作品を通読していないとまず理解出来ないという点。
彼自身が経験したことを、それぞれの作品の主人公がドストエフスキーになり替わって発言、または思考しているので私のようなど素人には難しい。
更に著者は、その点をサラっと流すように書けばよいのだが、まあ20ページ近くも一々作品を捉えて解説するので、こちらの気分はどうしても尻の大きな女の子に目がいっちゃう(笑
 
冗談はさておき、ドストエフスキー逮捕のきっかけは、どうも反政府組織のメンバーに参加したことにある。
当時は帝政時代。
皇帝は農奴解放には賛成の考えだったらしいが、民衆はその程度の改革では気が済まないが、しかし政府も黙っていない。
密かに反政府集会の存在を突き止め有能なスパイを1年間忍び込ませ内偵を続け、逐一内務大臣に報告。
内務大臣から報告を受けた皇帝は早速通達を出す。
 
事態は重大である。全部目を通してみたが、一部にはたわいない部分があるとしても、これは罪を犯しているし、放っておくわけにはいかない。貴官が言っておられるように、ぜひ逮捕に踏み切られたし。成功を祈る。
 
1849年4月22日、ドストエフスキー一党は全員逮捕。
囚人たちは、ただ話し合って印刷物を作っていた程度なので尋問が済んだら直ぐ釈放になると思っていた、
10月22日朝、全員が集められ憲兵らが見守る中、馬車に乗せられ何処へとも分からず連れていかれる。
 
行き着いた場所はある練兵場。
馬車を降りると、そこには約4000名の一般市民。
中央には白木の台、階段が付いており、部隊は処刑台の前で方陣になって並び三本の棒杭が立てられている。
「整列!」という怒鳴る声。
囚人たちは一斉に今から何が起こるかを悟る。
 
「捧げ銃!」
「脱帽!」
「帽子を取れ、今から判決文をいい渡す」
 
罪状を読み上げ最後に!
 
「銃殺刑に処す」
 
囚人たちはまだ事態がよく呑み込めていない。
しかし司祭も立っている。
ラッパが鳴る。
死刑囚は跪かされ長袖の頭巾のついた白装束を着せられる。
最初の3人が柱に縛り付けられ頭巾が目まで被せられる。
短い号令が聞こえる。
小銃を持った兵卒が三部隊死刑囚の前にずらりと並ぶ。
 
ドストエフスキーの順番は2順目。
残された時間は約5分。
兵卒たちは銃に装填、肩に乗せる。
鋭い叫び声が沈黙を破る。
 
「照準!」
 
しかし、発砲の号令がない。
法務官がおもむろにやって来て、皇帝の恩赦の勅書を朗読する。
 
「罪人たちは、法の裁きのもとでは死刑の判決が下ったが、皇帝陛下の特別の御配慮に基づき恩赦となる」
 
ドストエフスキーが出獄したのは1854年2月15日。
しかし、ドストエフスキーにはシベリア独立軍第七守備大隊の一兵卒として4年間の兵役の義務が課せられる。
1856年10月20日、少尉補佐官に昇進。
59年3月18日、病気を理由に退職が許可される。
 
しかし、除隊後のドストエフスキーの生活は酷かった。
彼はギャンブル依存症でルーレットにハマり全財産を何度も無くす。
その度に友人や出版会社に借金と前借。
既に妻帯していたドストエフスキーは妻のイアリングからブレスレッドまで質屋に入れては無一文で帰ってくる生活を何と10年間も続けたそうだ。
妻もよくそれに堪え尽くしたとあるが、夫の天才性を信じていたのだろうか。
ただし、何故急にギャンブル狂から脱することが出来たのかは何の資料もないので分らない。
ある日を境にピタット・ハウスのように止めてしまった。
 
それからの彼は名作を次々に発表し、まるで「預言者」のように名声は高まるばかり。
ドストエフスキーの死は1881年1月28日。
明け方、彼は妻のアーシャを起こす。
 
「ねえ、アーシャ、もうかれこれ3時間も眠らないでずっと考えていたんだよ。そして今はっきりと、私は今日死ぬだろうということが分ったんだよ」と訴えた。

ドストエフスキーには持病の癲癇があり晩年には喀血を繰り返し容体はあまり良くなかった。
妻が慰めるも聞かず。
 
「いや、私には分かっているんだよ。きっと今日死ぬよ!」
 
と言って福音書を手にした。
彼の心臓が止まったのは夜の8時36分。
最後にこんなことが書かれていた。
 
「到達せざることにおいて、人は偉大になる」とゲーテは言っている。
ドストエフスキーは、到達しなかったからこそ偉大なのだ。
 
う~ん、ゲーテも難しいがドストエフスキーも難しい!
哲学や宗教に弱い私にはお手上げ。
 

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Gladys Knight - Coming Home Again

「帰りなんとて家もなく慈愛受くべき父母もなし、孤児書生の胸の裡」
 
と言った大政治家が昔居ましたが、そんな言葉が身に沁みますね。
「さよならだけが人生だ」寺山修司も云っていますが本当ですね。
まさか、あれが今生の別れになるとは思わなんだという繰り返しが人生。
天国へ旅立った人、いま一度逢いたい人。
生死も分からず一瞥以来数十年、せめて存命なら達者で暮していてほしい。
斯く言う私も親戚の前から姿を50年間も消し去っていました。
 
誰もが大切にしたい一度きりの人生。
もう一度、帰って来てほしい。
そんなことを人は昔から歌って来ました。
25歳だった頃の私が聴いて、あまりの感動にテープが擦り切れたぐらいの曲。
今日はこの曲でおやすみなさいませ。
 

奇人でけっこう―夫・左卜全 三ヶ島糸

 
昔のある時期、私は、生涯を共にすべき映画作品として以下の3つを挙げていた。
「レット・イット・ビー」「東京裁判」、そして「七人の侍
中でも「七人の侍」は、その脚本総てを覚えるぐらい繰り返し巻き戻して見ていたが、それには理由がある。
20代前半、初めて「七人の侍」を映画館で観たはいいが、作品が古いためか、どうも台詞が聞き取れない。
何を言っているのか判らない場面がいくつかあった。
 
30代になり、レンタルビデオの時代に入り、再度見直し台詞を確認する作業の結果、何度も鑑賞するはめになってしまった。
そのシーンとは定期的に村に現れては略奪を繰り返す野武士対策として、ただ、飯をたらふく喰わせるという条件だけで町まで侍探しにやって来たはいいが、肝心の米を米櫃から盗まれてしまった時の場面。
その聞き取れない台詞を言っているのが左卜全というわけである。
 
「米、盗まれた」の後に「米がね~でよ」と悲鳴に似たような声で発する名台詞。
ともあれ、この映画では侍役を食うほどの強烈な演技を見せ、頗る印象に残こった。
日本映画史上、左卜全ほど百姓役が板に付いた俳優もまず居まい。
映画の全盛期、数多くの名脇役が存在したが、中でも私は、この左卜全、上田吉二郎、伊藤雄之助を名優だと思っている。
 
その左卜全熱が高じてわざわざネット注文してまで買った本、正確には評伝や伝記の類とは違い、妻が観察した夫の実像だが、これが簡単そうで意外と解り難い。
それほど卜全という人は個性的だったとも言える。
良く言えば哲学的、宗教人、明治の古老。
悪く言えば奇人、変人、偏屈、一徹。
 
ともあれ、一時期は稼いだ金の全額を崇拝している宗教家に寄付するという変人ぶりで、身なりは乞食同然であったと書かれている。
その頃、卜全はこんなことを言っている。
 
「世に虱とりほど楽しいことはないよ」
人は嫁とる 婿をとる 俺はひなたで虱とる
 
しかし28歳までは、あの風貌からは想像も付かない女道楽で肉欲を満たしていたとか。
しかし生涯苦しんだ脱疽という激しい痛みを伴う足を切断するかといほどの病。
その卜全が結婚したのが終戦翌年のことで、既に齢52歳だった。
因みに芸名、左卜全という名は昭和10年から名乗っていたそうだが、本名は三ヶ島一郎。
由来にはこうある。
左は左甚五郎、卜は塚原卜伝、全は丹下作善の善を変えて取ったと。
 
まあ、それにしても感心するのは、このような一徹暴君的主人に仕える妻というのは並大抵な女性では、まず務るまい。
その忍耐もさることながら、文章には鋭い観察眼と聡明さも漂う。
こんなことを夫に言われながらも。
 
「神は不浄を忌む。朝の祈り事が済まぬうちは、女とは口をきかぬ」
 
とにかく奥さんは隠忍自重だったようだが、ただ、耐えていただけではなく、夫の日々の生活に尽くすことを無常の喜びとしていたようだ。
だが、読者としては読むほどに卜全という人が解らなくなる。
曰く。
 
「一歩外に出れば、すべてが虚である、芝居である」
「外に出て人に見られる卜全は、映画で見るよりもっと楽しい人物でなくてはならぬ」
「必要なこと以外は俺の耳には聞こえないよ」
「世間の人は俺のことを”勝手つんぼ”と言っている」
 
とにかくウナギのように掴みにくい。
気難しく、怒鳴り、怒り、妻としては他人と接する夫を見ていると緊張の連続だったことだろう。
長い芸歴を誇る割には芸能界に友達がなかったのもそのためかと思う。
弔問に来た、森繁さんは「気儘に生きたね。彼を理解する人は少なかった」という言葉を残している。
 
全体像を捉えることの出来なかった左卜全
私も、これほど不可思議な人を見たことも読んだこともない。
唯一、彼を見抜いた人の談ではこうある。
 
「浮世人情に対しては無頓着。馬鹿となり居ることがよろしい」
 
しかし、斯く言う私は、あの昭和45年「ドゥビ・ドゥバー、パパパヤァー」の歌を聴くまで左卜全という人を知らなかった。
突然、現れた老人の歌が大ヒット。
その時はもう晩年を迎えていた。
左卜全は昭和46年5月26日死去。
田吉二郎は翌47年11月3日。
伊藤雄之助は55年3月11日。
昭和は遠くなりにけりですね。
 

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Woman Is The Nigger Of The World

今時、シャロン・テート殺人事件などと言っても知る人も少なくなってきたと思うが68年に全米を震撼させた大事件だった。
ロマン・ポランスキー監督夫人のシャロン・テートが自宅パーティーの最中に押入ったチャールズ・マンソン一味に皆殺しにあった事件でテートは妊娠中であるにも関わらず16カ所も刺され殺害された。
事件に関してはよくビートルズの楽曲『ヘルター・スケルター』のことが取沙汰されるが、それはまあいいとして、そのリーダー、チャールズ・マンソンが先月死亡した。
約半世紀近くの獄中生活だったわけだ。
 
そして今日、12月8日はジョン・レノンの命日。
あれから37年、びっくりするような歳月が流れた。
当時、私は青春真っただ中!
暗殺者はジョンの信者だったマーク・チャップマン
彼もまだ獄中生活だが、マークの場合は出所しない方が身の為だ。
彼の下には脅迫状が常に舞い込んでいる。
一番忘れられない手紙には以下のようなことが書かれていた。
 
お前が出所する日、その日がお前の命日だ!
 
出獄したらマークは必ず殺されるだろう。
昔流行ったTシャツのプリントの有名人としては以下の4人が有名だった。
 
 
みな、普通の人生を送ることのなかった人たちだ。
因みにマークの本を読んでも暗殺の動機が理解出来ない。
マークと私は同年齢。
同じビートルズ信者としての私がポールを暗殺するようなものだ。
考えられない。
 
 
だから何だって言うんだ!
今日は私の好きだったレノンの曲でおやすみなさい!