愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

レイモン・ラディゲ

      f:id:pione1:20190618084242j:plain

ラディゲは早熟な少年で、16歳から18歳までの間に『肉体の悪魔』を完成させ、19歳で出版、次作で遺作となった『ドルジェル伯の舞踏会』は死後出版された。

なら、普通に人生を全うしたら、どれだけの大作、名作を生みだしたというの!

今日、なお批評に耐えうる完成度に達していると言われるが、やはり天才の夭折は心より惜しまれる。

因みに1903年の今日が彼の誕生日になる。

こうなったら俄然『ドルジェル伯の舞踏会』を読むしかあるまい、買わなきゃ。

ゲーリングとヒムラーの32年、ゲッペルスの33年

     f:id:pione1:20190617180510j:plain

これは珍しい写真ではなかろうか。

1932年、ゲーリングヒムラーが一緒に歩いてる。

ゲーリングもまだ巨漢というほどでもない。

     f:id:pione1:20190617180721j:plain

翌33年、ゲッペルスは写真家がユダヤ人だということを気付いたらしく、それ故、こんな怖い顔をしているのか。

ヒトラーの連立内閣成立は33年、この時期、ナチスの台頭著しい時期、ユダヤ人は早く国外逃亡した方がいい。

 

果てなき便り 津村節子

                 f:id:pione1:20190617073500j:plain

津村節子さんには、夫吉村昭氏の闘病生活を綴った『紅梅』という作品があるが、本書は二人の往復書簡などから、帰り来ぬ数々の思い出を追悼記のように纏めあげたもので、残された者の哀しみが読む者に伝わってくる。
 
二人は学習院の文藝部で知り合ったようで、共に同人雑誌を作る仲間だったらしいが、没後10年、手紙の束100余通、長い苦節の時代から、家族と遠く離れ孤独に苛まれる取材の旅、妻への最後の手紙となった遺書など、今では豊富な資料となっているようだ。
決心、希望、情熱、望郷、愛、いたわり等々の男の心、女の気持ちが装いなく吐露された言葉の数々、夫婦作家の慈しみの軌跡、先に逝った者を思い出してく書くのは辛かろうに。 
 
作家で食っていくまでは、行商人のようにメリヤスを東北地方で売りに歩いていたというが、戦後はそんな時代だったんですね。
ところで吉村昭さんといえば、司馬遼太郎さんの次に多くの本を読んだが、氏の作品は歴史小説というのではなく記録文学というらしい。
当初はそのような作家になるつもりはなかったようだが、次第にのめり込んでいったのか、徹底した調査に基づいた素晴らしい作品を多く残した。
そのためには取材を兼ねた泊りがけの出張も多く、旅先から書いた手紙を含め、節子さんは大事に取っておいたんでしょうね。
 
しかしこの夫妻、驚くのは共に日本芸術院会員ということで、他に夫妻で会員になっている人なんているのだろうか。
巡り合うべくして巡り合ったのか、稀なお二人だ。
 
ポチッ!していただければ嬉しいです ☟
                                                     

ルチアーノ・パヴァロッティ 『トゥーランドット』「誰も寝てはならぬ」


Luciano Pavarotti Nessun Dorma (turandot) Torino 2006

 

オペラ史上の最高峰だと思っている『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」は、数あるバージョンの中でも、この2006年トリノオリンピック開会式でルチアーノ・パヴァロッティが歌ったものが一番だと思う。

パヴァロッティにとっても人生最後のステージとなり翌2007年9月6日死去している。

ヴァシーリー・ヴェレシシャーギン 1842年10月26日-1904年4月13日 ロシア

f:id:pione1:20190615180215j:plain

f:id:pione1:20190615181830j:plain

《ボロジノのナポレオン》(1897年)

f:id:pione1:20190615181644j:plain

《戦争の結末》(1871年

f:id:pione1:20190615181057j:plain

f:id:pione1:20190711225413j:plain

《勝者》(1868)

f:id:pione1:20190615175831j:plain 

《敗者》(1868)

f:id:pione1:20190615180428j:plain

戦場をテーマとした作品を数多く、日露戦争で取材のため乗っていた戦艦ペトロパヴロフスクが機雷に接触して沈没。