愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

マーク・ロスコ 1903年9月25日-1970年2月25日 (66歳)

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抽象表現主義の代表的画家らしい。
うふ・・・!
さっぱり解らん。
横割りで二色、作品の殆どがこれだ。
で、何を鑑賞すればいいの?
何を見ればいいの!


私の苦手な哲学的な匂いがする。
頭が良さそうだな。
しかし、どれを見ても同じような柄模様で似たり寄ったり。
展覧会でこれらの作品を何十点と見ろってか。
そりゃないよセニュール、学のない私では退屈しちゃって椅子に座りたくなる。
一体、なんでこうなるの。


頭脳というのは進化しすぎると凡人には分らぬ発想をする。
私みたいなアーメン、素麺、冷素麺みたいな素頭では着いて行けない。
 

 

フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか 浦久俊彦

神童とは恐ろしいものだ。
8歳リストは楽譜を一目見ただけで、信じられないような正確さでピアノを弾いたとか。
そのリストに付いて私が知り得ることは殆んどないが「リストは19世紀音楽の縮図だ」という言葉があるほど偉大な人物らしい。
しかし、時を同じくしてポーランドにもう一人の神童が現る。
 
ピアノ史上最強のライバルとされたショパンの出現。
ビヨン・ボルグとジミー・コナーズのような関係だろうか。
それにしてもリストの超人的なエネルギーは凄い。
 
1839年からの8年間でこなしたコンサートの数、ウィーンを皮切りにコンスタンチノープルまでのヨーロッパ・ツアー、260都市を回り延べ1000回の公演。
鉄道のない時代、6頭立ての馬車で全ヨーロッパを周遊するなど気の遠くなるような話しではないか。
 
超絶な技巧と類稀な美貌で「リスト・フィーバー現象」を起こし世界の女性を虜にした。 
 
 
妻となったマリー・ダグー伯爵夫人との往復書簡の数も半端ではない。
現存するだけでも562通、登場人物は実に1200人を超えるとか。
知人友人には年間1000通もの手紙を出し曲も書きに書いた。
 
リストの曲を不眠不休で演奏すると約122時間。
それを全部弾いてCD化した人がいるというからまた驚く。
全99枚のCDに収められ個人録音の記録としてはギネスに認定されている。
 
あたりまえのことだがリストの時代、演奏されなければ音楽は存在しない。
レコードがない時代にあっては、街に出たからといって、どこからも音楽は聴こえてこない。
上流階級のサロンやコンサートに行かなければ音楽は聴けない。
 
つまり音楽は「現在」でしかなかったと作者は書いている。
そうか!
つまり音源を残せないから過去の音楽を誰も知らないというわけだ。
当時の音楽家は自分が作曲したものしか演奏しないから、過去の音楽は楽譜として残っているのみ。
 
それを掘り起こし広くヨーロッパに「過去」の音楽を始めて紹介したのがリストだという。
バッハやベートーベン、モーツァルトハイドンがどれだけ偉大でも、誰かが演奏してくれなければ知らない音楽になってしまう。
なるほど、確かに。
 
今ではありふれたリサイタルという催しを考案したのもリスト。
1839年3月8日、ローマで行われたピアノ・リサイタルは聴衆とピアニストだけという前代未聞の企画でリスト以前にはなかった。
 
それにしても天才同士の交流は読んでいても緊張感を孕む。
12歳のリストが53歳のベートーベンを前に演奏して感激させたことや、ショパンとの連弾。
リストの娘コジマとワーグナーの結婚。
同時人の天才たちの生まれは、
 
ベルリオーズ         1803生
ショパン      1910
シューマン     1810
リスト       1811
ワーグナー     1813
ヴェルディ     1813
 
1歳違いのショパンとリストが同じステージで演奏する、そんなことが実際にあったわけだ。
リストの願望は音楽、文学、絵画という芸術の枠組みを外し、調和的に融合させることだったとか。
天才に生まれるということが、どういうことなのか解りかねるが、人類は天才を必要としていることは確かだ。
 
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Matt Monro - All Of A Sudden

いかに頭脳明晰であれ、自分の恋がいずれ終わることは、

理性では分かっていても、実感できないものだ。

モーム『月と六ペンス』

 

大方の人は、恋は時と共に原型を留めなくなることを知っている。

ケーリー・グラントには5度の結婚歴があり、61才で駆け落ちして翌年には離婚、最後は77才にして47才年下の女性と結婚。

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恋多きグレース・ケリーは思わぬ人のプロポーズで高貴な人になってしまったが、誰もが予想しなかった最期を迎えてしまった。

 

人生とは、予期しない未来に向かって歩いているようなものだ。

では、今日の1曲、マット・モンローで - All Of A Suddenです。


Matt Monro - All Of A Sudden

 

絶頂美術館 西岡文彦

そうなんだ!
 
「すべての芸術はエクスタシーに通じる」
 
陶酔、恍惚、艶、やはり芸術にはエロチシズムの妙なる調べが流れている。
何につけ絶頂感とは達成感と同義語だから作品も、その極みに達したとき芸術も一層輝く。
しかしながら芸術の世界では、そのエロチシズムが時代の変遷と共に価値観を左右してきたという事実。
 
本来、芸術の世界では縦の線と横の区割りがあり、縦の線、つまりは年代によっては数世紀の開きがあり、横の線、その国の価値観、例えば共和制、帝政、または宗教、イデオロギーによって捉え方がかなり異なってくる。
 
恋愛結婚が普通の現代だが、19世紀ではそれは一般的ではないのと同じで、ヌードに見慣れた今日からすれば写真や映像のない当時の裸体が衝撃、或は非難、中傷の的となっても不思議ではない。
新しいものは常に謀反であるとの喩えどおり、芸術は常に旧勢力との戦い。
異端児が現れては出る杭は打たれ、嘲笑、批判、翻弄、そして今日、一定の評価を得ても、それとて時代が変われば評価も変わり、芸術は普遍的であっても評価は一辺倒ではない。
 
しかし、なるほど絵画は当然のことながら奥行きが深い。
東洋絵画では余白は「空白の美」であっても西洋絵画で空白は未完成を意味する。
学ぶべき価値観というのは、現在の高みに立って過去の尺度を斟酌するのではなく、リアルタイムでその衝撃を目撃しないと、過去に常識だった評価も伝わりにくいということか。
 
幕末の遣欧視察団が欧米の建築物や産業を見た時の衝撃は、俄かには伝わりにくいのと同じだ。
故に、発表当時の批判は、現在の私達には漠然としたニュアンスしか伝わらない。
この書の確信部分は以下の言葉に尽きる。
 
「絵画や彫刻がヌードを描く際には、それが裸体である必然性というものが要求された。古代ギリシャ・ローマを題材にするなり、聖書や神話の場面を描くなりして画中の人物が衣服を身に着けていないことの説明が立たない限り、ヌード表現は許されなかった」
 
しかしいつの時代でも為政者や権力に対して、毅然と叛旗を翻す者が出て来る。
エロスを前面に押し出し、古く重い扉を如何にこじ開けて行くか、その起源と過程を描いたのが本書のようだ。
 
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ヴィヴィアン・リー 1913年11月5日 - 1967年7月8日 (53歳)

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ヴィヴィアン・リーさん、敢えてヴィヴィアンと呼ばせてもらいます。
聞きましたよ、貴女の情熱。
オリビエの家に押し掛けて、奥さんにオリビエのあらゆる好みを聞いたそうじゃありませんか。
よほど、オリビエの演技に惚れ込んだようですね。
そして、見事、オリビエを略奪する。


仕事も恋もヴィヴィアンほど一途じゃないと、生半可なことではオスカーは手に入らないのでしょうか。
しかし貴女はその両方をかっさらってしまった。
だが、オリビエは数年後に去った。
貴女みたいな美女を棄てて。


ヴィヴィアン、確かに貴女は絶世の美女です。
見ましたよ、ロバート・テーラーと共演した『哀愁』。
本当に綺麗でした!
どうでしょう、ひとつ私を連れ去ってみる気はありませんか。
そして失恋の傷を私で癒す。
私は何処に居るかって?


決まってますよ、「欲望という名の電車」に乗ってますから。
私と恋に落ちたら、間違っても「風と共に去りぬ」なんて言わせません。
二人でタラの大地でやり直しましょう。
必ず見つけてください、待ってますよ。
欲望という名の電車で。

 

 

マラーを殺した女 安達正勝

副題として『暗殺の天使シャルロット・コルデ』というタイトルがある。
端的に言えばこの絵が全てを象徴している。

                                 ジャック=ルイ・ダヴィッド作『マラーの死』
 
殺害されているのはマラでもマーラーでもない。
フランス革命の指導者ジャン=ポール・マラーである。
事件は1793年7月13日夜、マラーの自宅で起きた。
大胆にもパリの自宅に押し掛け、二度目の訪問で面会が叶い、浴槽に浸かるマラーの胸を一突き。
 
共犯者はなく、25才になろうとしていたシャルロット・コルデなる、うら若き美貌の女性の犯行だった。

4日後の17日、革命裁判所法廷で死刑宣告を受け即日処刑、執行方法は勿論ギロチン。
時に、私はフランス革命に関して、あまり詳しくない。
いつか勉強したいと思っているが、その教材として佐藤賢一氏の『小説フランス革命 文庫版 全18巻』を目標にしているのだが、果たしてそんな日が来るのだろうか。
 
小説フランス革命 (1) 革命のライオン
小説フランス革命 (2) パリの蜂
小説フランス革命 (3) バスティーユの陥落
小説フランス革命 (4) 聖者の戦い
小説フランス革命 (5) 議会の迷走
小説フランス革命 (6) シスマの危機
小説フランス革命 (7) 王の逃亡
小説フランス革命 (8) フイヤン派の野望
小説フランス革命 (9) 戦争の足音
小説フランス革命(10) ジロンド派の興亡
小説フランス革命(11) 八月の蜂起
小説フランス革命(12) 共和政の樹立
小説フランス革命(13) サン・キュロットの暴走
小説フランス革命(14) ジャコバン派の独裁
小説フランス革命(15) 粛清の嵐
小説フランス革命(16) 徳の政治
小説フランス革命(17) ダントン派の処刑
小説フランス革命(18) 革命の終焉
 
とまあ、こんな内訳だが、まったく気が遠くなるような話だ!
とにかく今はマラーのことだ。
フランス革命といえばジャコバン派ジロンド派の権力闘争だが、マラーはダントン、ロベスピエールと並び称される大指導者で、なぜ、シャルロットはマラーを暗殺しなければならなかったのか。
そこが難しいのだ。
マラーの主張を聞こう。
 
私はいつも思い浮かべ、これからもずっと思い続けるに違いないただ一つのことは、人夫・職工・貧窮者、ひとことで言えば、革命においてすべてを失い、、しかも、欲得づくの立法者たちが市民の列から除外した人々が、革命をいつも変わることなく支持してきた唯一の人々である、ということである。
 
ふう、別に悪い発想とは思わぬが。
更に言う。
 
革命の火から自由が出現してくるのが見られる。
 
1793年9月、マラーは国民公会議員に当選、しかし、国会議員になってもマラーへの迫害は続くとある。
どうも、反対派勢力に対し痛烈この上ない糾弾の声を浴びせかけてきたらしい。
マラーはダントン、ロベスピエールと共にジャコバン派に属するが敵対するのがジロンド派
中産ブルジョワジーの代表がジャコバン派で大ブルジョワジーの代表がジロンド派と解釈されてもらえばいい。
革命の主導権をめぐって争ってきた両者の対立が頂点に達したのが1793年5月。
 
本当に小難しいフランス革命だが、勉強のためにも長くなることを覚悟で書かざるを得ない。
 
前年4月、フランスはオーストリアに宣戦布告、これがやがて対ヨーロッパ戦争に突入、根本原因は、共和国フランスと周りの諸王国との政治的対立、イギリス資本主義とフランス資本主義との経済的対立。
革命の主導権を握っていたジロンド派が戦争を始めた意図は二つ。
 
・革命の激化を避けるため、戦争によって国民の関心を外にそらす。
・戦時需要によって経済に活を入れ、戦時物資を供給する大商人の利益を保護する。
 
しかし、結果はジロンド派が意図していたものとは、まったく正反対の方へ行ってしまった。
祖国が危機に陥ったことを感じたパリ市民は、外国の軍隊と呼応して革命を圧し潰そうとしていた国内の敵、反革命勢力に対する警戒心を強め、革命闘争はさらに激化。
それに加えて、全国的に食料事情が悪化、しかし、物そのものが存在しないわけではなく、投機や買い占めなどによって暴利を貪っている悪徳商人たちに対し、断固たる処置を取るよう再三にわたって国会に要求したが、国会では一向に急ぐ様子がない。
武装蜂起も辞さない民衆が国会に突き付けた要求は二点。
 
・買占め・投機などを行っている悪徳大商人の利益を擁護するジロンド派の有力議員を国会から追放すること。
・生存を維持するのに欠くことのできない必要最小限度の品目については、最高価格法を制定すること。
 
しかし、大ブルジョワジーの代表であるジロンド派にとって商人の利益を守るのは死活問題、とても出来ない相談で残るは武力弾圧。
だが、パリ民衆の武装蜂起がもはや避けられない状況に立ち至ったとき、ジャコバン派は、民衆と手を結んで宿敵ジロンド派を打倒することを決意。
そして革命の主導権はジャコバン派の手に。
こうして、ジロンド派の有力議員31名が国会から追放される。
これが所謂「5月31日ー6月2日事件」と言われるものらしいが、シャルロットがマラーに注目するのは、この事件が契機らしい。
 
追放されたジロンド派はシャルロットの住むカーンに到着、彼らの話を聞くうちに悲憤慷慨したのか、独り、狙いをマラーに定める。
バルザックはこんなことを言っている。
 
自分が置かれた環境の中で、自分の考えを隠し続けることほど精神力を鍛えるものはない。
 
シャルロットは誰にも相談せず、何の後ろ盾もなく強い意志でマラー暗殺を考えたようだ。
パリに着いたシャルロットは早速、マラーに手紙を書く。
ジャック=ルイ・ダヴィッド作『マラーの死』で左手に持っているのが、その手紙だがそれにはこのように書かれていた。
 
マラー様、私は今朝、あなたにお手紙を書きました。お受け取りになりましたか。
ほんの少しの間、お目にかかれることを期待してよろしいでしょうか。もしあなたが私の手紙をお受け取りになったのでしたら、事の重大さからみて、あなたは私をはねつけたりはなさらないだろうと思います。私が非常に不幸な女だというだけでも、あなたの庇護を受ける十分な権利があります。
 
そして意を決しシャルロットはマラーの家を訪問。
入口で訪問を断る妻と押し問答をするうち、それを聞きつけたマラー本人が入室を許可してしまった。
絵にあるように浴槽に入っているのは、漸進的な悪性の皮膚病に悩まされていたマラーは、水風呂に浸かってしか仕事ができない状態にあったためらしい。
 
すっかり気を許し話を続けるマラーに対しシャルロットの一撃は、第一肋骨と第二肋骨との間を斜めに深く刺し貫き、肺動脈を切断し刃は柄のところまで突き刺さっていた。
マラーさえ殺せばフランスに平和が訪れ、祖国は救われるとういシャルロットの固定観念は処刑の日まで微動だにしなかった。
元より死は覚悟の上、それ故、強靭な意思も保ち続けることが可能だったのだろう。
 
マラーとシャルロットの物語はこれで終わるが、フランス革命はまだ継続しており、ナポレオンの登場は先の話。
先に戻って佐藤賢一氏の『小説フランス革命 文庫版 全18巻』が読める日が果たして来るのだろうか、読めないような気がするが。
 
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古賀春江 1895年6月18日-1933年9月10日 (38歳)

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そこに在る

《窓外の化粧》(1930年) 神奈川県立近代美術館

 

どのような思考からこのような想像が生まれるのか。
昭和7年にはこんなことを言っている。
 
人間に顔や肉体がなかったら、どんなに気持が晴々するだらう。私自身人々の眼の前にえたいの知れない顔や肉体を曝して歩いてさぞ迷惑を掛けてゐるだらうと思ふ時出来るだけ人に逢はないですむやうにしたいと願ふ。 人間の顔が恐ろしくて人に逢へなくなる時私は犬達と話をする。犬は人間よりも直接に単純に話が出来る。
 
やはり変わっている。
昭和8年に入ると、古賀は軽い躁状態にあったとみられ、更に梅毒にも犯され次第に精神を病んでいった。
古賀の作品は精神障害者の絵に興味を持ったことに始まるのかどうか分からないが、彼の本格的自伝はないものか、興味がある対象だが、随分と難しいことを言っているので私の頭では解らないと思う。
ともあれ、古賀春江川端康成の援助で入院したが、昭和8年9月10日38才で没した。