扨て、第二巻だが、先ずメモリたいことから書いていく。
今日ではすでに完全に忘れさられてしまったことであるが、宗教画を描く画家は、細心な注意を払って宗教図像学上のもろもろの約束を守らなければならなかったのである。慎重な上にも慎重でなければならなかった。つねに異端審問所の目が光っていたのである。お寺さんからの注文画、などという気楽なものではなかった。
怖いね、一歩間違えれば火あぶりか!
幼児性というものをどこかに、またどの程度かに残していない芸術家はいない。
確かに、それは私も思う。
然し、私の場合はただ単に幼いだけで芸術性がない、残念。
あらゆる芸術家には、自己を隠したい、表現したもの、されたものが、それは自分ではない、それは客観的表現である、として、作品の陰に隠れていたい、それが自己であるという秘密を守りたいという、自己顕示欲の逆の欲望もある。
芸術家とは、ある意味この自己撞着のかたまりである。
難しい!
肖像画を見るということは、生者としての死者に出会うという、まことに異様な事態である。書物の中での、ただの活字の羅列としての名前だけであれ、それらの死者を生者として見ることが出来れば、それこそ歴史というものである。
いつも、そのようにして見たり読んだりしているが、まだまだ深みが足りない。
「時間もまた画家である」
例えばレオナルド・ダ・ヴィンチは、画家である以前に科学者であった。彼は顔料、絵具を徹底的に分析して、何が、またどうすれば自らの仕事を永遠に残すことが出来るかと、自分に納得が出来るまで研究をした。そのうえであの『最後の晩餐』をミラノの聖堂に描いた、結果は鱗状にほとんど落剝してしまった。
つまり、現在我々が見ているものは、修復の専門家の手が入ったもので、ゴヤの場合は修復師の必要がまったくなかったとなるわけか。
穹窿画(きゅうりゅうが)、曲面の天井または屋根。
こういう天井のことを言うらしい。
以前から不思議に思っていだが、昔の画家は天井画をどのようにして描いたのだろうか。
何でもムリーリョという人は、カディスという港町で、修道院の天井画を描いている時、誤って高さは15メートルの足場から転落して死んでしまった。
画家は一種の高所恐怖症で、ゴチック風教会や大聖堂の気の遠くなるような高さでの作業は、生半可な芸術家には務まらず、壁画ならともかく、首はいつも上向きで全体のバランスもとりにくい。
早描きで有名なゴヤは、その辺も難なくクリアしたのだろうか。
弟子を採らなかったゴヤは、助手としてアセンシオ・フリアという男を使い、その助手が下で絵の具を溶ぎ、水のバケツを持って足場を上がる、これも大変な労働だ。
ゴヤは、アラゴンはフェンデトードスなる村で生まれているが、人口はたったの120人ばかりの寒村で、生涯、生まれ故郷を思わせるような絵は一枚もないらしい。
暮れ切ってしまっては何もない、星一つ、その他には何一つありはしない、完璧な空虚
で、現在はどうか知らないが、本書が書かれた当時でも貴族制度というものがあり、世界広しといえどもスペイン、イギリス、エチオピアだけで、ゴヤの時代は、ピレネー山脈を挟んで中世の体制を維持するスペインと、近世に向かって大きく大転換したフランス、簡単に言えば異端審問所を廃止したフランスと、それを維持しているスペイン。
「理性の眠りは妖怪を生む」
記録によるとスペインで1481年から1808年までの327年間に、火刑に処せられた者、31912人。
こうしたことを踏まえて、歴史、社会には殆ど無知だったゴヤだが、著者は言う。
歴史は、ゴヤの深いところで判断力に乗り移るようにして宿り、そこからの光源を彼の仕事に与えてくれるようであろう。
上手いこと言う。
ところで、ゴヤがベートーヴェンと同じように、47歳で全聾になったことは知らなかったが、評価が高まるのは、これ以降で、ガリバー旅行記で知られるスゥイフトのように全聾になった結果、発狂し自殺してしまった場合とは違って逞しく生きた。
下絵はアルバ公爵夫人、この絵に関する著者の考察も書いておく。
1797年
夫人が黒衣をまとっているために、しばしば夫の喪に服しているととられ勝ちなのであるが、これは喪服ではない。
彼女は茶色、あるいは金色の胴衣を白絹の下着の上にまとい、頭から黒い紗のマンティーリャのをかぶっていて、その下の黒い髪には白と金の蝶結びの髪飾りをつけている。髪と蝶結びとマンティーリャの、この三重の細部の扱い、描き方などももはや完璧である。また胸部の、白の下着、金の胴衣、それにマンティーリャの、この三重層も技術的には実に完璧の出来である。
腰は、金の飾り紐つきの赤いサッシュで締め上げ、琥珀織り、あるいは節織りの黒綿のスカートには組み格子の黒い花飾りがついている。スカートが黒で、そこに同色の花飾りを描き込むのであるから、並大抵の技術ではない。組み格子と黒い花による細部の仕上げには余程の時間がかかったであろう。彼がこの一枚に注ぎ込んだ情熱ほどが知れるというものである。
そして1799年10月31日、ゴヤは主席宮廷画家に任命せられる。
画家としての位人臣を窮めるにいたるまで、いったいどれだけの策略や狂態、愚行、偏見、欺瞞等々を働き、何人の人間の足を引っぱったことか。
それまで主席宮廷画家だった義兄が死んだため、宮廷画家に就任してから苦節10年を経ての最高位となった。
本書にはいたるところで哲学的な言葉も散見出来る。
例えば、
想像力のなかにのみ実存する形態と運動
全然解からん!
芸術家になるということは、人間的なもののすべてと無関係ではありえなくなるということであった。しかもその人間的なもののなかで、政治が果たす役割と領域は無限膨大化の一途を辿りことになる。
?
スペインの歴史の複雑性はブルボン王朝出身の人がスペイン王になっていることなのか。
更にナポレオンの兄がスペイン王に即位するというまどろこしさ。
「宗教に純粋性の敵なる哲学者」
宗教、哲学、歴史、文学と難しいゴヤの物語は第三巻へと続く。
《睡眠》