愛に恋

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鶴屋南北の恋 領家高子

 
鶴屋南北、彼の作品ほど私の少年期を苦しめたものはない。
父の言う怪談が何のことか分からず「階段」がなぜ怖いのかと薦めらるまま見たのが奈落の一丁目。
真夏の夜の「四谷怪談」、これほど恐ろしい映画もなかった。
天下の二枚目、長谷川一夫演じる田宮伊右衛門ならまだいい。
ラストはお岩さんに同情的な設定で終わっているので、さほど恐怖心を伴わない。
 
しかしである、これが天知茂となるとそうはいかない。
昭和34年制作の天知版、これを見たら最後、もうトイレに行けない。
当時のアパートはどこも共同便所で深夜にトイレに行くこともままならず翌朝はいつも父の怒鳴り声で目を覚ます。
敷き布団にはびっしりと鮮やかな文様。
父は言ったものである。
 
「この世界地図はなんだ!」
 
しかし父も悪い。
私は毛布を頭から被り鼠の巣穴からチーズを覗くように僅かばかりの穴を開けテレビを見ている。
お岩さんが出るとギャア~~~叫び毛布を被る。
それを父は面白がって「出てない出てない」と言いつつ怖い場面を見せようとする。
 
中でも山場は川で夜釣りをしている伊右衛門の前に一枚の戸板が流れ着く。
動きを止め裏返ると、そこにはお岩さんが、更に反転すると按摩の宅悦の死体も。
腰を抜かす伊右衛門、ここに至って私の恐怖はピークに達し泣き叫ぶ、そして間違いなく翌朝は世界地図である。
何たる参事!
 
話しが脇道に逸れ過ぎたが、物語はその南北の最晩年、七十を超えたあたりから始まっている。
当時、江戸市中で言われた、
 
都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北
 
その延寿太夫が文政八年五月二十六日、何者かに刺殺される。
延寿太夫とは清元の開祖、その後、南北が弔い合戦のつもりで書いた東海道四谷怪談尾上菊五郎のお岩役で大当たり。
南北71歳、それを見て息子の十郎が10年来慣れ親しんだ自分女(いろ)を父にのために手引きする。
 
生気を取り戻し更に頑張ってもらうための親孝行の浅知恵で、狂言作者 鶴屋南北の囲い者になった元芸者の鶴次。
当初、十郎が南北の息子だと知らず妾奉公にやってきた鶴次だっが、いつしか南北の最期を看取るのは自分の勤めだと真心を込めて尽くすようになる。
作者は女性だが巧みに交わす性描写など婀娜っぽく艶めかしくて上手い。
それに庶民の江戸言葉など耳に馴染みはないものの小気味いい。
 
「おおこわ。あんたったら悋気をやく口かい」
「それはさにこそそうらえどもとは」
「人生とは、生まれ落ちた命のひたぶるに遊ぶ時間のこと」
「晩冬の季節を、春隣と呼ぶ」
「細工は流々、仕上げをご覧じろ」
 
史実を取り入れながら起承転結の構成も上手く久しぶりに肩の凝らない本だった。
しかし本来の日本語が持つ力と美しさ大事にしたいものだ。
 
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