ジャン・ギャバンと呼ばれた男 鈴木明

 
凡そ30年程前のこと、それまで務めていた会社を辞め、急に無職になってしまった私は取り立ててこれといってやることもなく、さりとて直ぐ職探しに奔走する気にもなれず暫くブラブラしていたが、ある本を買ったことから急にアグレッシブに行動するようになった。
生活状況を一変させた本とは!
 
『大アンケートによる洋画ベスト150』
 
昔から映画鑑賞が趣味だった私は大方の名画は見て来たと自負していたが、どっこい、この本を見て驚いた。
洋画とは、つまり邦画意外全てということで米、英、仏、伊は勿論、スペイン、ギリシャ、ロシア、ポーランドなど世界中の150作品ということなので見たことも聞いたこともない映画名が複数出て来た。
翌日からビデオ屋を駆けずり回ったが当時はまだTSUTAYAもDVDもない時代。
品揃えも悪く店も小さい。
しかし、未見の作品はどうしても探し出したい。
全軍に檄を飛ばし叛乱部隊を率いて首相官邸にではなく一人とぼとぼビデオ屋巡り。
 
更にである、1位にランク付けされたのはハリウッド映画ではなくフランス映画の天井桟敷の人々』で、その予想外たるや!
以下、30年前のベスト30作品を掲載しておく。
 
2位  第三の男
3位  市民ケーン
9位  駅馬車
12位  望郷
15位  黄金狂時代
16位  モダン・タイムス
17位  道
21位  旅芸人の記録 
25位  甘い生活
27位  街の灯
29位  ベニスに死す
30位  女だけの都
 
順位表を見て思うのはオーソン・ウェルズチャップリンの才能ではなかろうか。
チャップリンは4作品ランクインさせウェルズは2作品ながら2位と3位に着けている。
ウェルズが恐るべき天才児と言われる所以だろう。
二人の作品だけで言うなら個人的には断然『街の灯』を推したい。
 
逆にさっぱり理解出来なかった映画もある。
ポーランド映画灰とダイヤモンドギリシャ映画の旅芸人の記録で、特に旅芸人の記録は長編で間が長く会話が非常に少ない作品で、どこが名画なのか全く理解できなかった。
実のところ150作品の中にはまだまだ理解できないものも多々ある。
例えば戦前のマルクス兄弟作品やカリガリ博士、またはスペインのミツバチのささやきなど理解に苦しむものもばかり。
 
話しがかなり逸れているがベスト30の中にジャン・ギャバン主演作品は2つ。
映画史上に名高い名作として知られている大いなる幻影『望郷』が私の記憶には何ら留めていない。
大いなる幻影』の監督は巨匠ジャン・ルノアール、画家ルノアールの二男として有名だが、その良さを知るには30年経った現在、もう一度も見直さないと分からないと思う。
何しろ、今日からみると80年前の作品になるわけで。
本書の初版は91年10月。
著者の本を読むのは3冊目で、古い話しだが18歳の時だったか、叔母の家にあった『「南京大虐殺」のまぼろし』という本を貰った記憶があり、それ以来、数十年の時を経て今年『リリーマルレーンを聴いたことがありますか』という作品を通じて本書を知りAmazonで取り寄せたが著者は既に亡くなっている。
 
本書に拠るとパリ・モンマルトルの一角に100年前の面影そのままにジャン・ギャバンの生家は存在しているらしい。
ギャバンは1904年5月17日、役者稼業の父と歌手だった母の第七子として生まれているが夫婦にとっては最後の子供で、既に上4人は他界していた。
母エレーヌが死んだのは1918年の秋、激戦地ヴェルダンでペタン将軍率いるフランス軍がドイツ軍を打ち破った日とあるから終戦間近のことだろう。
 
ところで大杉栄が偽パスポートでマルセイユに現れたのは1923年2月13日。
ギャバン19歳の時で二人はかなり近距離に居たことになる。
大杉によると「女」はすぐに手に入ったとある。
その理由として大杉は「フランスの結婚件数」という統計を残している。
 
20年 62万
21年 45万
22年 38万
 
つまりフランスは大戦で決定的な打撃を受け女ばかりが余り男が激減、若きギャバンも遊びまくっていた。
ギャバンが俳優としてデビューするのは戦前の三大シャンソン歌手ミスタンゲットのオーディションを受けたことに始まるらしい。
因みに他の二人はモーリス・シュバリエとジョセフィン・ベーカー。
以来、ギャバンは生涯95本の映画と8本の芝居に出ているが、多くの作品が日本未公開となっている。
『望郷』『大いなる幻影』を除く主演映画で日本人にとって有名なものと言えば以下のようなものか。
 
・地の果てを行く
・ヘッドライト
・地下室のメロディ
 
往年の映画ファンでフランス人俳優の大スターと言えば、シャルル・ボワイエ、ジャン・ギャバンイヴ・モンタン、その下にアラン・ドロンジャン・ポール・ベルモンドということになると思うがギャバンは自分の後継者にベルモンドを指名している。
ベルモンドと言えば『勝手にしやがれ』『ダンケルク』『気狂いピエロ』『パリは燃えているかが有名だが、私個人はカトマンズの男』を挙げたい。
中学の時に見たのだが、これが大爆笑の作品で記憶から離れない。
そのベルモンドとギャバンの唯一の共演作冬の猿という作品は日本未公開。
 
話しは戻るが『大いなる幻影』は37年作品、本書には世界映画史上燦然と輝く名作とあるが、あまり記憶に残らなかった私は鑑賞力が足りなかったのだろうか。
私を強く惹き付けたギャバンの映画はこちらだったんですが。
 
 『ヘッドライト』
特別ストーリーは書かないが、この時の哀愁に満ちた演技が忘れられない。
さて、話しが長くなっているがまだ続けたい。
ギャバンが共演した女性を二人ばかり検索してみた。
 
ミレーユ・バランと
 
 
ミシェル・モルガンだが、何か見たことがあるような女性。
強い眼差しですね。
 
そして大戦勃発!
1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻、ダラディエ内閣は積極策を取らずギャバンを含めフランス人はヒトラーと全面対決するなどあり得ないと思っていた。
ポーランドとフランスは攻守同盟を結んでいたがダラディエ内閣は即宣戦布告しなかった。
だが、動員令だけは即日発令し人口5000万に対して600万という桁違いの数字。
翌2日、ギャバンの下にもシェルブール海軍基地に入隊すべし」という命令書が届く。
 
時にギャバン35歳、老兵の二等兵曹だった。
フランスがドイツに宣戦布告したのは3日午後5時。
仏軍は専守防衛マジノ線さえあればドイツ軍の進撃を防げると信じていた。
しかしドイツ軍は中立国のオランダ、ベルギーを抜け一気にフランス領土に侵入。
所謂、電撃作戦で、その間、フランスは600万の兵士を前線く釘付け、ただ飯を喰わせていた。
ギャバンは40年4月、一発の弾丸も発射することなく帰還。
そして6月17日、フランスは無条件降伏。
 
大戦中、嫌いだったハリウッドに渡りディートリヒが生涯を賭けて愛する男になったギャバンは戦後も活躍し、76年11月15日、72年の生涯を閉じる。
生前、大統領が招待したエリゼ宮のパーティを断ったギャバンだったが、ジスカールデスタン大統領は特例を持って司令官だけに許される海軍葬で遺骨を遺言通り大西洋上にばら撒いた。
大統領は苦笑いしながら言ったという。
 
「フランス大統領に、二度も恥をかかせるような二等兵曹は、もう二度と現れないだろうね」
 

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