先ず、第二次大戦の発端は、ドイツが東プロイセンへの通行路ポーランド回廊および国際連盟管理下の自由都市ダンツィヒの回復を要求したこと始まるんですよね。
そして1939年9月1日、先端の火蓋は切って降ろされる。
9月3日、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告。
然し、私が知っている限りでは翌年5月頃までは西部戦線では何も起きない奇妙な戦争と言われていたはず。
フランス側では第一次大戦の惨禍に懲りた為、ガムラン将軍が唱道した国境沿いに構築されたマジノ線で、完全防備の体制を敷きドイツ軍を待ち受けた。
5月10日、ドイツ軍は攻撃を開始。
然し、ドイツ起動部隊は要塞の手薄な北方からマジノ線を迂回、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの低地諸国に電撃作戦。
アルデンヌ奇襲により国境を越える。
アルデンヌの森は自然の要害で、重砲や戦車は通れず行軍は不可能であるとフランス軍
は判定していたため、要塞構想の範囲から全く外れていた。
だが、アルデンヌの森をドイツ軍は戦車を用いて突破、国内に雪崩れ込み、フランスは満足な抵抗も出来ぬまま敗北を喫する。
そこで起こったのが次々にパリに到着するオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの避難民。
恐れを為したパリ市民も荷車に家財道具を積ん大移動。
映画なんかで良く見かけますよねこの場面。
狭い幹線道路に大渋滞の避難民。
そこへドイツの戦闘機メッサーシュミットが現れ低空歩行で機銃掃射。
みんなは一斉に側溝に避難。
然し、事態は思わぬ方向へ。
ドイツの進撃を食い止める為、北上するフランス軍は避難民の大渋滞に阻まれ妨げになり部隊は散り散り。
結局、休戦協定が結ばれ、ドイツ直轄領地とペタン元帥率いるヴィシー政府の民政に分かれることになり、本書では英国に亡命政府を置いたド・ゴール将軍と正式なフランス政府承認を得る為、国民の支持、難民問題、帰還、食料、仕事、ユダヤ人問題と後半になる程、緻密でややこしくなっている。
何しろパリ市民、700万人が避難民になったというから、その規模が想像できるだろうか。
それだけ残虐と言われたドイツ軍を怖れていたわけだ。
つまり、愛国心はあるわけだが「人は祖国を靴の底につけていくことはできない」という格言とおりになった。