なんと優しい眼差しであろうか!
慈愛に満ちたとはこういうことを言うんでしょうね。
お母さんはいったい何を考え思っているのでしょう。
ただ健やかな成長を祈るとき、動物はこのような見つめ方をするのだろうか。
この西条八十の「ゆめ」という詩。
上の写真を見ていたら将にその情景が浮かんだ。
夜なかに
ふとめざめると
三つになる女の子が
はげしくわらっていました。
ねむりながら、さも楽しそうに
声たててわらっていました。
母親は手をかけて
その子をゆりさましました。
「嬢や、ゆめですよ、みんなゆめですよ、
さ、起きておかあさんの顔をごらんなさい。」
女の子はぱっちり目をあいて
うれしげに母親のおもてを見まもり、
ふたたびやすらかにねむりにはいりました。
じぶんのふしどにもどってから
母親はなぜかながくねむられませんでした。
ふとも悲しいこころが
そのむねをとらえました。
ああ、だれかいまやさしい声が
わたしの耳もとちかく
ゆめですよ、みんなゆめですよ、と
ささやくことはないであろうか
そうして目をひらくと
あたりはかがやかしい十六のわかい朝で
まくらべにあの昔なつかしい父と母が
ほほえんでいることはないであろうか
しずかにふけゆく春の夜よ
母親の目には、いつか
幼児のようになみだがわいていました。
西条八十の感性に脱帽します。
個人的な事ながら実母とは3歳の折り、生き別れになって以来、互いに生き方知れずで、生きているやら死んでいるのやら。
濃いも薄いも血は血ですが選択の余地のなかった別れとして諦めましょうね。
ただ母さん、いつの日か私の前に表れてこんな風に言ってくれたら倖せです。
「僕ちゃん、夢ですよ、みんな夢ですよ」
そんな一言を待ち続けていますからね。