《Oh, what's that in the hollow...?》
《ワルキューレの祈り》 1915年以前
《シャロットの女》
《Idle Tears》
《ノクターン》
《トゥワイライト・ファンタジー》
《雪のハート》
《Byram's Tryst》
《バルキリー》(1902年)個人蔵
《夢想》(1901年)
何ともややこしい本だったが、ある映画の事を思い出した。
2001年のアメリカ映画『ブラックホーク・ダウン』で、監督はリドリー・スコット。
実際にソマリアで起こったモガディシュの戦闘を扱ったもので、敵のアイディード将軍を捉えるために送った部隊が返り討ちに遭い、その惨劇からソマリア撤退に至った事件を扱っている。
そもそもソマリランドとは何処にあるのか知らべてみるに、
アフリカの角と言われるこの一帯ががソマリ人が住む地域だが、然し内情は複雑だ。
著者によると部族ではなく正式には氏族といわれる血統から細かな居住域が決めら、大まかにいえばソマリランド、ソマリア(南部とブントランド)、ジブチ、エチオピアのオガデン地方、ケニア東北部と広範囲になる。
何十年も内戦が続き、その様相は著者には分かっても私には理解不能で、ただ、国際社会の暗黙と了解でアフリカ連合に明記された「植民地時代の国境線の変更は許されない」とある。
つまり、アフリカには元々国境がなく、部族間の縄張りが所謂、国境だったのだろう。
それを白人が勝手に線引きをしたため、今更変更するとかえって揉め事が起こりやすいということではなかろうか。
ソマリランドは、何の産業もなく民主国家が成り立っている不思議な国で、主な収入源は、ベルバラという港の関税の税収だけ。
財政基盤は海外に出た多くの縁者による仕送りで賄われているという。
余程の送金あるということか。
仕送りされた金の多くはカートという葉っぱ費やされている。
地元の人は、このカートを頻りに欲しがり、著者も含め何かと言うとカートを噛んで話し合う。
一体にカートとは何ぞや!
これも調べてみた。
「カートはエチオピア、ジブチ、ソマリア、ケニア、イエメンでは嗜好品として嗜まれている。カートの葉には、興奮性の物質であるカチノンおよびカチンが含まれる。それぞれ向精神薬に関する条約 のスケジュールIとIIIに指定され、国際的な管理下にある」
ということだが、イギリス、オランダ以外の欧米圏では非合法ドラッグとされ、当然、日本では入手できない。
然し著者は殆ど中毒状態で、そうでもしないと、とてもこの一帯をルポするなど出来ないのだろう。
世界最悪の街に潜入するわけで、命の保証もない。
通訳、警備兵、運転手を雇い出費も嵩む、私にはとても出来ることではない。
常に危険が伴い拉致される可能性すらある。
好奇心を駆り立てられる土地だが、臆病な私には無理だ。
そういう意味では世界各国を旅して来た著者のクソ度胸を評価したいし、混乱の続く現地を理解し、本に纏め上げた力量にも敬意を表したいと思う。
ところで、こんなTシャツもあるがどうだろう。
(1966年)
1970年
1960年
クラウディアさん、もうね『ブーベの恋人』を見た遥か昔から貴女に決めているんですよ。
何で色よい返事を貰えないのですか。
私の気持ちは分っているでしょ、そういつまでも焦らさないでくださいよ。
それでなくとも私の周りには美女が溢れているのですからね、いい加減目移りしてしまいますよ。
それとね、あんまり谷間を見せないでくださいよ、もう体に毒なんですから。
ホントにもう、毒を盛られたような気持ちになるんですから。
早く、はやく私のモノになってください。
そしたら谷間大歓迎ですから。
《トルヴィルの港》(1870年)
《フェカンの海辺》(1881年) マルロー美術館
《ポプラ》(1891年)オルセー美術館
《積みわら、夏の終わり》(1890年-1891年)オルセー美術館
《ボルディゲーラ》(1884年)シカゴ美術館
《花咲く堤 アルジャントゥイユ》(1877年) ポーラ美術館
《郊外の列車》(1870年)オルセー美術館
《エトルタ,ポルト・ダヴァル》(1885年)ディジョン美術館
モネさん、貴方の作品にはヌードってありますか。
いやいや、変な意味で訊いているのではありません。
純粋に芸術作品としてそのような絵がありますかということです。
風景画が圧倒的に多数のような気がするのでね。
無いならないでいいのですが、画家にとって女性ヌードは必須項目ではないのですね。
然しまた何故描かなかったのですか。
いや、貴方の作品を全部見たわけではないので何とも言えませんが、若しそうだとするなら何か理由があるのですか。
是非、お伺いしたいですね。
《血の手紙》(1777-1785年)
《イサベル・ポルセル》(1804-1805年)ロンドン・ナショナル・ギャラリー