以前、ベルギー人監督のディディエ・ボルカールトという人が『フランダースの犬』を検証するドキュメンタリー映画を製作したという記事を読んだ。
製作のきっかけはアントワープの大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙する日本人の姿を見たことだったとか。
製作のきっかけはアントワープの大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙する日本人の姿を見たことだったとか。
物語は画家を夢見る少年ネロが放火の濡れ衣を着せられ、村を追われ吹雪の中を彷徨った挙句、一度見たかったこの絵の前で誰を恨むこともなく愛犬と共に天に召されるというもの。
原作は英国人作家のウィーダが1870年代に書いたものだが欧州では長い間、この物語は「負け犬の死」というイメージとして不評を買い評価されることはなかったらしい。
アメリカでは過去に5回映画化されているが、いずれも結末はハッピーエンドに書き換えられたもので、悲しい結末の原作が何故日本でのみ共感を集めたのかは長らく謎とされてきた。
ボルカールトさんは、3年の月日を費やし、この謎の解明を試み資料発掘や世界6カ国で計100人を超えるインタビューで得た手掛かりは日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。
「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見出し、ネロの死に方はまさに日本人の価値観を体現するもの」
木曾義仲、源義経、武田勝頼、浅井長政、そして赤穂浪士や西郷の死。
古来、日本人はこの滅びの美学には人一倍こだわってきた民族。
切腹を前に辞世の句を詠み従容として死に就く。
これほどの美学は古今東西に稀だろう。
「判官贔屓」という諺も日本人の信義をよく表している。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
判官贔屓はよく理解するが、先ず心頭滅却は無理だし、火もまた熱しだ。