居眠り狂志郎の遅読の薦め

未だ休読日に至らず

ロルカ スペインの魂 中丸 明


ヨーロッパの歴史というのは実に分かりにくい。
王位の継承、国境線の変更、宗教問題、長ったらしい名前と地理。
塩野七生さんのようにイタリアに住んでイタリア史ばかり書いている人が羨ましい。
中丸明という作家も負けず劣らずスペイン史ばかりを得意としている。
ただ、たまにゲスっぽい表現を使うが、それは頂けない。
 
そのスペイン史だが711年以来、ムーア人に国土の殆どを侵略されていたが、1492年1月、イサベル女王がムーア人最後の拠点グラナダを開城させたことで失地回復となったらしい。
有名なセルバンテスイサベル女王にドン・キホーテ』を献上したが、
 
「これがいったい、なんの役に立つというのか」
 
と言われてしまったとある。
さて、本書はスペインが生んだロルカという詩人の話だが、スペイン人が萩原朔太郎を知らないように日本人もロルカのことをあまり知らない。
そんなロルカを知ってしまったから読んだわけだが彼の生きた20世紀初頭動乱のスペイン史を簡単に書きたいと思う。
 
時はアルフォンソ13世の治世。
国王に課せられた問題にはモロッコに対する植民地支配の確立もあったが、1918年3月から23年までの5年間に12の内閣が更迭される迷走ぶり、21年にはモロッコで大規模な戦闘が起こりスペイン軍は大敗。
そのモロッコで辣腕を振るったのがフランコ将軍で作戦の巧妙さ、仮借ない残酷と苛烈さによってナポレオン以来、32歳の若さで少将に任官された。
1931年、プリモ・デ・リベラ将軍のクーデターが成功、独裁体制の共和政に移行。
 
1936年2月16日の総選挙は人民戦線258、右翼国民戦線152、中間派62、共産党14で左翼人民戦線が勝利。
右翼陣営はこの直後から、武装蜂起計画に取り掛かる。
 
人民戦線とは一般的に革命側と思われがちだがスペイン内戦では政府側が人民戦線になる、ここを押さえておかないと混乱する。
 
7月、右派のクーデターが勃発、しかし軍部の足並みが揃わず失敗。
翌月フランコ将軍率いるモロッコ駐留軍が本土に侵攻、本格的な内戦状態に突入。
 
近代国家誕生の上では必ず内戦が起こる。
我が国の戊辰戦争を見るまでもなく一種の通過点だが、スペインでは戊辰戦争のような生易しいものではなかった。
フランコ軍は左翼に対し容赦ない殺戮と凄まじい暴行、強姦を行った。
 
ゴヤの名作「5月2日」は1802年5月2日のことを描いているがナポレオンはスペイン制圧にイスラム教徒の外人部隊を投入したことで、悲惨で残酷な戦闘になった。
逆にスペインの女たちはフランス兵の陰茎を切り取り口中に押し込む蛮行を働いたが同じことがスペイン内戦でも起こり右左共に容赦しなかった。
対外戦争では1898年アメリカに破れモロッコ以外、最後の植民地だったキューバプエルト・リコ、フィリピン、グアムの一切を失う。
 
同じ歳、ロルカは生まれるが成長するにつれて詩才や音楽的才能に恵まれ、ホモ趣向も強くなっていったとあるが真相はよく分からない。
ただ、年下のダリとはかなり濃密な関係だったようで二人の間に何があったのか想像の範囲を出ないがダリに関してはこんなことが書かれている。
 
ダリには強度の「肛門性格」的なところがあり、彼の糞便趣味は、数年後にシュルレアリストに変身したとき、その仲間を恐怖せしめることになるのだが、このダリの「肛門性格」とロルカのそれが、ということは、大いに想像をかきたてられることであろう。
 
肛門性格」とはどういうことか?
肛門フェチということか!
また糞便趣味とは恋人の物をということなのか、で、それをどうしたというのだ?
鬼才ダリに関してはもう少し勉強した方がよさそうだ。
もう一つ付け加えると。
 
ロルカの’かま毒’にあてられはしたものの、ダリはスペイン語でいうところのマチョ(男根おとこ)であった。
彼が友人から略奪したガラ夫人との熱愛はあまりにも有名だが、ダリは彼女に、女性器官のもっとも卑猥な四文字を大声で叫ばせることによって、こよなき膣感覚と射精を味わっていた。
 
ともあれ、ロルカは36年8月18日払暁に処刑されたが今以って正確な場所は特定されてない。
殺害理由もよく分らないが処刑したのはフランコ派。
ロルカは言う。
 
スペインは、死が国民的見世物となる唯一の国なのです
 
さらに、
 
ぼくが死んだら
ギターを埋めて下さい
砂にふかく
 
僕が死んだら
オレンジの木々と
薄荷のしげみのあいだに
 
僕が死んだら
よかったら埋めて下さい
風見鶏の旗のなかに
 
僕が死んだら!
 
2006年、グラナダ空港はロルカの名を冠してフェデリコ・ガルシア・ロルカグラナダ=ハエン空港となった。
 

ブログ村・参加しています。

ポチッ!していただければ嬉しいです♡ ☟