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戦犯 ある軍医の悲劇 冤罪で刑場に散った桑島恕一の真実 工藤美知尋

戦後、行われたB・C級戦犯は短期裁判で、かなりの冤罪があったと思われる。

記録によると横浜やマニラなど世界49か所の軍事法廷で裁かれ、被告総数は5700人にのぼり、このうち984人が死刑に処せられた。

ここに登場する桑島恕一軍医大尉は、大正5年5月30日生まれで、同年11月生まれの父と同い年になるので少し驚いた。父は辛くも処刑を免れたが、若し、逮捕処刑となれば、今の私はない。

昔、フランキー堺が死んだ時に特別番組として1958年に制作された、日本のテレビ史に語り継がれる、フランキー主演の『私は貝になりたい』を見た。

除隊して無事に帰郷し、理髪店で再び腕を振るっていたある日、警察が捕虜殺害によるBC級戦犯として逮捕しにくる。

理不尽な裁判で死刑を宣告され、処刑の日を待ちながら「もう人間には二度と生まれてきたくない。生まれ変わるなら、深い海の底の貝になりたい」と遺書を残す物語だが、この中で、捕虜が木の根っこを食べさせられたという話が出てくる。

それはゴボウのことで、これが捕虜虐待となる。

BC級戦犯の多くは「捕虜虐待はその事実が認定されれば、命令の有無や階級の上下などに関係なく実行者個人が処罰される」という、ポツダム宣言第十条を知らなかった

恕一は奉天捕虜収容所に赴任、いわれのない捕虜虐待で上司の収容所所長が懲役7年に対し、恕一はデス・バイ・ハイギングの判決、死刑である。

アメリカ人弁護士でさえ、被告の捕虜に対する貢献で死刑はないと言っていたのに、裁判所はそれらを一顧だにしなかった。

つまりは戦勝国の感情の赴くまま、その満足感が満たされることを目的とした報復裁判といって言い。