愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

ピエール・ボナール Part.3 

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《窓》(1925年)テート・ブリテン

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《子どもたちの昼食》(1897年頃)ナンシー美術館

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《バスタブのマルタ》(1931年)ポンピドゥ・センター

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《化粧室の女性》(1905年頃)ビュールレ・コレクション

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《ウェプレールの店からのクリシー広場》(1912年)ブザンソン考古美術館

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《戯れる二匹の犬》(1891年)サウサンプトン市立美術館

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《マルト・ボナールと彼女の犬》(1906年) 個人蔵

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《子どもたちと猫》(1947年頃)フィリップス・コレクション

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《浴槽の裸婦》(1937年) ローザンヌ州立美術館

《荒れた通りの 2匹の犬》(1896年) ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ボナールさん、貴方が属したナビ派は何か調べてみました。

19世紀末のパリで活動した、前衛的な芸術家の集団。「ナビ」はヘブライ語預言者を意味する。彼らは、土曜日ごとにランソンの家に集まって芸術を論じたり互いの作品の批評をしたりした。自分たちだけで通用する独特の用語を使ったり、制服やしきたりを考案したりして結束を高めながら、絵画だけでなく彫刻、工芸、舞台芸術などの広い分野で活躍した。文芸雑誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』のためにポスター、挿絵を制作したり、画商アンブロワーズ・ヴォラールの勧めで豪華本のための挿絵を描いたりした

 

なるほどね。つまり私は入会できないわけだ。

あ、そうですか、分かりましたよ。外部から見て居ります。

然し何かすっきりしない絵ですね。

こんなんでいいわけですね。

ナビ派ね、あまり良く解かりません。