愛に恋

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石橋湛山の65日 保阪正康

知らなかったが石橋湛山明治17年生まれで、東條英機山本五十六、石黒忠篤と同年齢だとか。

その石橋の理論は東條とは正反対なものになる。

「されば若し我国にして支那又はシベリアを我縄張りとしようとする野心を棄つるばらば、満州、台湾、朝鮮、樺太等も入用でないと云ふ態度に出づるならば、戦争は絶対に起こらない。従って我国が他国から侵さるると云ふことも決してない。論者は、此等の土地を我領土とし、若しは我勢力範囲として置くことが、国防上必要だと云ふが、実は此等の土地を斯くして置き、若しくは斯くせんとすればこそ、国防の必要が起こるのである。其等は軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起こった結果ではない。然るに世人は、此原因と結果とを取違えておる」

つまりは「大日本主義」に非ず「小日本主義」で行けば戦争は起きないと、大正十年に言っている。

確かにその論理は的を得ているが、問題はそう容易しものではない。

日露戦争の結果として満州の権益を得た日本としては、政・軍・官・民と満州の利権を手放すなど暗殺、クーデターの類で、当時としては理想論でしかない。

小日本主義、反軍国守備を唱えた石橋は一貫して軍部と対立、然し、あろうことか、戦後、吉田内閣で大蔵大臣の職にあった時、GHQから「その他の軍国主義者及び極端な日本主義者」として公職追放者憂き目に遭ってしまう。

公職追放解除から岸信介と争って、鳩山首相の後任となるのだが、たった65日で辞任したわりには、残した業績は大きかったというわけだが・・・。