愛に恋

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危機の宰相 沢木耕太郎

本書を読むまで私は大きな勘違いをしていた。

昭和31年流行語になった「もはや戦後ではない」を経済白書に書いたのは池田隼人だとばかり思っていた。

ところが実際は鳩山一郎首相で、池田の登場は60年安保をめぐる混乱の責任をとり、岸信介首相が辞意を表明した後なのだ。

その池田首相の所得倍増計画が発表されたのが昭和35年

本書は「所得倍増計画」というネーミングと高度成長期を迎えた池田内閣にスポットを当て、東京オリンピック、新幹線開通という世界に飛躍する日本の舵取りを担った経済人、政府高官、官僚になどの取材を通して、池田内閣がどのように思われていたのかをクローズアップさせる経済ノンフィクションだが、如何せん、経済に弱い私ゆえに解らない事だらけ。

因みに岸田総理が総裁選前に「大宏池会構想」などと銘打って活動しているなどという話を聞いたが、あれはどうなったんだろうか。

そもそも自民党の派閥は大雑把に言えば、岸信介率いる「清和会」と池田隼人の宏池会がことの始まり。

宏池会前尾繁三郎大平正芳鈴木善幸宮澤喜一加藤紘一となって「加藤の乱」が起き、現在の岸田派、麻生派谷垣グループの3派に分裂している。

清和会は故安倍元総理が会長。

私が記憶に残る総理というば、佐藤栄作の退陣表明の記者会見の時からなので、池田隼人がどのような人物だったのか知らない。

これも今回初めて知ったが、池田の初婚の相手は深窓の令嬢廣澤直子だった。

明治初年に暗殺された長州閥の元勲、廣澤真臣の孫なのだ。

大変な相手を貰ったものだが、二人の間を取り持ったのが宮澤喜一の父宮沢裕らしい。

面白いですよね、こういう人脈は。

併し、周囲の評判は「人は好いが、ただそれだけの奴」

そんな池田が罹った奇病が、世界に3人しかいないと言われた「落葉性天疱瘡」、全身に瘡蓋ができ、瘡(かさ)が落ちると膿と血が出る。

全身を苛むような痒さが数分おきに襲い「これが治ったら奇跡だと」東京帝国大学の医学博士に言われ匙を投げられたらしいが、直子は看病疲れで急死して池田を絶望の淵に立たせた。

だが再起不能と言われた池田は5年の療養を経て奇跡的に快癒。

そもそも大蔵省の地方税務署長から始まった池田のキャリアは復帰後、徐々に高まり首相になるわけだが、賃金二倍論の発端は中山伊知郎のエッセイにあり、田村敏雄と下村治、所得倍増計画に関わったこの3人について全く無知なのでお手上げになってしまった。