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南京「百人斬り競争」虚構の証明―野田毅獄中記と裁判記録全文公開  野田 毅

以前、大戦中に派遣されたビルマでの野田毅少尉日記を読んでレビューを書いたが、今回はB・C級戦犯として米軍に逮捕、その後中国に引き渡され、北京で国民党政府の裁判を受ける身になった裁判記録と獄中日記になる。

確かB・C級戦犯では1千名ほどが死刑になったと思うが、彼の場合は戦中有名になったなった「百人斬り競争」の首班として逮捕されたものだ。

今の中学ではこの問題を扱っているのか分からないが、私の時代は中二の社会科で習って、深刻な問題だと受け止めた記憶がある。

先ず、南京事件で現在の共産党政府は死者は30万と言っているが、あまり信用できない。

南京市内で30万も殺せば、第一遺体処理はどうする。

埋めるといっても、その労力と空き地が必要で、それが事実なら至る所墓地だらけということになる。

当時の南京の人口はどうなのだ。

それに付随して起ったのが百人斬りで、南京入場までに向井少尉と野田少尉のどちらが早く百人斬り倒せるかという競争を煽ったとして、日日新聞社特派従軍記者浅海一郎の創作した架空なる虚で、事実無根の記事が大々的に国内の新聞に載り、これがために逮捕起訴となってしまった。

東京裁判では百人斬り記事は事実無根として無罪釈放となったにも関わらず、国民党政府は野田の引き渡しを請求。

公判中、野田氏は「浅海記者と富山大隊長を呼んでくれれば、全ては事実無根」なることを訴え続けたが、それは叶わず死刑判決が下ってしまった。

被告は冗談で「花嫁を乞う」と言ったために記者は「貴方等を天晴れ勇士に祭り上げて、花嫁候補を殺到させますからね」と合点したのが運の月。

それにしても浅海記者の責任は重大だが、この事実を踏まえて戦後どのような気持で生きたのだろうか。

何か書き残すことが責任であり義務だと思うのだが。