愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

アメデオ・モディリアーニ Part.6 

f:id:pione1:20210220234135j:plain

《青いクッションの裸婦》

f:id:pione1:20210225142213j:plain

赤毛の少女》(1915年) オランジュリー美術館

f:id:pione1:20210228081404j:plain

《横たわる裸》

f:id:pione1:20210228121751j:plain

《安楽椅子の上の裸婦》

f:id:pione1:20210323093019j:plain

ディエゴ・リベラの肖像

f:id:pione1:20210323111420j:plain

《小さな百姓》(1918年) テートブリテン

f:id:pione1:20210504184239j:plain

《ベアトリス・ヘースティングス》(1916年) ジョン・C・ホワイトヘッド・コレクション

f:id:pione1:20210506172008j:plain

《青いブラウスの婦人》(1910年頃) ひろしま美術館

f:id:pione1:20210511182112j:plain

《彼のスタジオに座っているジャン・コクトーの肖像》(1916年)

f:id:pione1:20220102221550j:plain

黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ』1918-1919年 ソロモン・グッゲンハイム美術館

モディリアーニ、おはようございます。

最近、思ったんですけどね、貴男の絵は目がないことで有名ですけど、そうは言っても目を書き入れている作品もかなりありますよね。

で、質問なんですが、目を描きいれる場合とそうでない場合、これは何か意味があってのことなんですか?

その時、何か心の変化みたいなことがあるのでしょうか。

この日は入れよう、この人は無しにしようみたいな。

「何で私には入れてくれないのよ」

と、喰ってかかるような人は居ませんでしたか。

然し、私は嫌だな、目のない駄目男なんて。