愛に恋

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アメデオ・モディリアーニ Part.6 

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《青いクッションの裸婦》

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赤毛の少女》(1915年) オランジュリー美術館

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《横たわる裸》

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《安楽椅子の上の裸婦》

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ディエゴ・リベラの肖像

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《小さな百姓》

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《ベアトリス・ヘースティングス》(1916年) ジョン・C・ホワイトヘッド・コレクション

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《青いブラウスの婦人》(1910年頃) ひろしま美術館

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《彼のスタジオに座っているジャン・コクトーの肖像》(1916年)

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黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ』1918-1919年 ソロモン・グッゲンハイム美術館

モディリアーニ、おはようございます。

最近、思ったんですけどね、貴男の絵は目がないことで有名ですけど、そうは言っても目を書き入れている作品もかなりありますよね。

で、質問なんですが、目を描きいれる場合とそうでない場合、これは何か意味があってのことなんですか?

その時、何か心の変化みたいなことがあるのでしょうか。

この日は入れよう、この人は無しにしようみたいな。

「何で私には入れてくれないのよ」

と、喰ってかかるような人は居ませんでしたか。

然し、私は嫌だな、目のない駄目男なんて。