こんにちは。
今日はカフェで本を10頁ほど読んだところでカフェ友のお婆さん来店。
淋しいからと相席を要望される。
途端に始まったのが病院の話。
朝から病院に3回電話したけど出ないと言うので
「なに言ってるの、今日は日曜でしょ」
「えっ、今日は日曜日!」
更に病院の予定表を見ると、13日が精神科、14日がリハビリ科となっているのを、何度も「今日は何日、何曜日」
と訊くので、その都度教えるのだが、暫くすると忘れてしまう。
以前から痴呆症はあったが、ここ半月の間でがかなり進んでしまったようだ。
おまけに耳が遠いので話がなかなか通じない。
「どうしよう、精神科の薬がもうない」
「そんなことはない。次の予定が13日なら、あと1週間分はあるはず」
「でもないもん」
「薬局が間違える筈はないから絶対にある。家にわすれてるんじゃないの。帰ったら調べて」
結局は1時間ほど、同じ話を繰り返すだけになってしまったが、困ったのは以前、私に教えた電話番号が間違っていて、おかあさんの前で家に電話して間違っていることを教えても、「おかしい、おかしい」を繰り返すだけ。
「もう死にたい。お父さんに何かあったら生きていけない」
「とにかくさ、死ぬ話はやめてよ」
「何かあったら相談にのってな」
と言うので、何でも相談に乗るけど、話したことを覚えないのが大問題だ。
今夕の一枚は松岡映丘(明治14年-昭和13年)の《春光春衣》です。
「映丘」は(えうきゅう)と読みます。
映丘には8人の兄弟ですがいましたが、三人の兄が夭折し映丘が末子。
兄には医師の松岡鼎、医師で歌人・国文学者の井上通泰、民俗学者の柳田國男、海軍軍人で民族学者、言語学者の松岡静雄がおり、これが世にいう「松岡五兄弟」です。
夭折した三兄弟も無事に成人を迎えていたら、世にいう「松岡八兄弟」になっていたのかも知れませんが、全員が男というのも珍しい。
作品の方は「藤原時代の貴女が、泉殿に端居して春花を賞せる様を写した」と画家自身が語っている傑作ですが、戦前は画壇の中心的な存在だった映丘は、戦後には知名度が低くなり、現在では忘れられた存在になってしまったのでしょうか。