76年前の今日。1945年8月15日,小田原空襲。402戸が被災,12人が死亡。伊勢崎または熊谷を攻撃した部隊が,余った爆弾を投棄したものと推測されている。
正午に玉音放送があり、終戦となったわけだから空襲は午前中のはず。
これこそ余分な空襲ではなかったか。
死んだ12人が浮かばれない。
これは戦災孤児と言われる子供たちだろうか。上野駅の構内で眠る人々。
1945年8月15日,玉音放送をラジオで聴き,涙を流す日本軍の捕虜。グアムの収容所で撮影された写真。
5月25日の空襲で自宅を失った内田百閒は仮住まいの掘立小屋でこの日を迎え、天皇陛下の御声は録音であったが戦争終結の詔書なり。熱涙滂沱として止まずと言っている。
そりゃそうだ。
今まで死んでいった者たちはなんだったんだろうかと思わずにはいられまい。
日本開闢以来、初めて外国に占領される。
進駐軍がやって来るのだ。
まさに断腸の思いだろう。