先日、ナチスによって焼かれたクリムトの《医学》を掲載しましたが、焼かれた絵は計3枚ありますので全て載せておきます。
焼却されたのは45年の5月、ナチにとっては敗戦の数日前か。
親衛隊の誰なんだ。名乗り出ろ。ったくもう。
経緯はこのようなものです。
1894年にクリムトはウィーン大学の大講堂の壁画の天井装飾画の3作品の依頼を受ける。19世紀内の完成は間に合わなかったが、《医学》《哲学》《法学》の3作品が理性を司る大学の意向と全く正反対のポルノグラフィティ的だということで、大変な論争となった。
クリムトは伝統的なアレゴリーや象徴を新しい言語に変えたものは、明白に性的なもので、そのため不穏なものとなった。大衆からの抗議は政治的、審美的、宗教的な点などすべての点で行われた。
クリムトは結局、この天井画3作品の契約を破棄して、報酬を返却する。しかし、この事件はクリムトの名を高めるきっかけとなった。なお、この3作品は1945年5月にナチスに焼却されて現存していない。この事件以後、クリムトは公的な仕事に対して消極的になっていった。
《医学》
《法学》
《哲学》