愛に恋

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フレデリック・レイトン Part.3 

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《ブルネレスキの死》(1852年) レイトン・ハウス博物館

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《 メイ・サートリスの肖像》(1860年頃)

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ロミオとジュリエット》(1850年頃) フェレンス美術館

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《エレジー》(1888年) ウォーカー美術館

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《ガルニハル》(1886年

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アガメムノンの墓のエレクトラ》(1869年) フェレンス美術館

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《サイモンとイフィゲニア》(1884年ニューサウスウェールズ美術館

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《音楽のレッスン》(1877年)ギルドホール アート ギャラリー

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《レディ・シビル・プリムローズ》 

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《子猫ちゃん》
 フレデリック・レイトンさん、貴男、ラファエル前派なんですか。
うーん、題材が古めかしいですね。
気になるのは1878年ウィンザーで最下級勲爵士位を授けられ、同年レジオン・ドヌール勲章オフィシエ受賞。
1886年には準男爵となる。
1889年、彫刻でローマ賞を受賞。
同年にフランス学士院会員。
1896年の新年の受勲者リストでは、画家で最初の貴族に列せられ、爵位が1896年1月24日に授けられたが、翌1月25日、狭心症の発作で急死って、たった一日の男爵だったんですか。
生涯独身であったため、わずか1日でレイトン男爵家は断絶したとあるではありませんか。
なんとまあ、残念なことを、思いもよらない死でお悔やみ申し上げます。