愛に恋

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水のように 浪花千栄子

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今の時代、浪花千栄子といってもどれだけの人が知っているだろうか。

明治後半から大正、昭和戦前生まれの人なら誰でも知っていたはずの浪花千栄子

私が若し、誰かのカバン持ちになるとしたら、女性では、①浪花千栄子美空ひばりなんですね。

男性では、①市川雷蔵 ②市川右太衛門 ③緒形拳ですが、既にみなさん鬼籍にはいられました。

ともあれ私にとっての浪花千栄子は、とても怖いおばさん。

「何をしてんの、しゃしゃっとせんかいな」

と、いつも怒られてばかりいるようなイメージです。

その昔、オロナイン軟膏のCMが有名でした。

「なにわちえこで御座います」ってね。

古くは、大河ドラマ太閤記」で緒形拳主役の木下藤吉郎の母親役で出演していました。

尾形拳の師匠は新国劇の島田省吾ですが、その当時の舞台を見た浪花さんは、早くから期待の新人として尾形拳を高く評価していたそうで『太閤記』で共演することになって、初めての顔合わせの時、向こうから小走りで遣って来た尾形さんが、頭を下げ「よろしく」と言ったそうで、二人はいい親子関係の役をやったと思いますね。

実は私、このドラマを一年間見ていたんです。

その浪花さんだが小さい時に母親を亡くし、後妻として遣って来た継母とは反りが合わず、僅か九歳で奉公に出されたそうですが、この奉公先が悪く、学校にも通わされず、寝る以外は一日中働きづめ。

何でも日に15キロも飯炊きをやらされたそうで、これはきつかろう。

給湯器も電気釜もない時代、赤切れが絶えなかったろうに。

それでも読み書きぐらいは知っておかねば恥じと思い、睡眠時間を減らし、便所に閉じ籠って勉強したそうな。

然し乍ら負けず嫌いな浪花さんは、飯炊きが上手いと奉公先で重宝がられ、8年間も下働きが続く。

飯一粒も残さず荒い物を厳しくチェックされるなど虐待に近い扱いを扱いで、焼き甘栗ひとつも褒美として分け与えられることなく、頑張って17歳でお暇を貰い、実家に帰ったものの、更にまた家の都合で奉公に出されるという苦労の連続だった。

然し、先の奉公先が大阪道頓堀近くの仕出し屋で、大正時代のあの辺りは芝居小屋が多く、その配達に行く傍ら、袖から毎日のように一流役者の演技を見ていたそうで、自然、門前の小僧習わぬ経は読みという塩梅で台詞なども覚えてしまったとか。

そんなこともあって、自分も役者の道を選ぶことに。

後年、名脇役として功成り名を遂げた頃、自分の家を持ちたいと、土地を探していたところ、ならばということで嵐山の天竜寺管長や著名人、大工の棟梁などが人肌脱いだようで、これも浪花さんの演技と確かな人物の賜物。

さて、その場所だが、結構な家だったので料理旅館「竹生(ちくふ)」として開業したらしいのだが、確か、美空ひばり館があった場所ではなかったか。

何か他の本で読んで記憶しているのだが。

その通りを挟んだ地所も購入しているはずで、本によれば屋敷内には「後醍醐帝の無聊をお慰めすべく、夢窓国師が吉野からとりよせて嵐山全山に植えられたものの中の、最後に残った一本と申し伝えられる名木の山桜も、年々みごとに花をつけ、」とあるが、あの辺りは何度も散策しているが、果て、今は当然、料理旅館「竹生(ちくふ)」ないが夢窓国師が取り寄せ浪花さんが「浪花さくら」と命名した、その名木はあったかな、覚えがない。

今一度、行って確かめたいような気になってきた。

それはさておき、映画、谷崎の『猫と庄造と二人のをんな』で森繫の母親役だったと思うが、いつも怒っている浪花さんのイメージが頭を離れず、私みたいなぼんくらも一度怒られてみたいものだったと常々思うなり。