取り立てて目新しいものはなかったが、ただ、リットンは帰国前にこのようなことを言っている。
「国際連盟を脱退するとは思わなかった。結果として満州国の実行支配は認めているのに、馬鹿正直な外交官や軍人はそれを読み取れなかった」と。
土壇場の日米了解案に関しても、野村大使とルーズベルト大統領は旧知の間柄で、何度も大使は大統領に、満州国に対しては念押していたはず。
その度に大統領は「承認はしないが黙認する」と言っていた。
ハルノートではチャイナからの全面撤退と確かに書いてある。
外務省は今一度、野村大使に確認を迫るべきではなかったのか。
支那からの撤退を表明すれば、蒋介石との間で停戦合意が成り立ち和平も訪れる。
アメリカとしては南部仏印からの撤退を可能にするなら、石油禁輸も解き、輸出再開も出来たはす。
更に、三国同盟も破棄して米国側に付けば、今後は協力して中国共産党とソ連に対抗していくパートナーとしてやっていけると考えていたらしい。
然し、どうだろうか。この時点で既に10万人を超える死者を出している日本としては、このような案を現実的に飲めるだろうか。
あくまでも当時の国内情勢を踏まえて考えなくてはならない。
多くの国民は大陸進出や開戦ムードに逸っており、その世論が開戦への最大の圧力になってしまった。
確かに言われる通りだが、それも後世の冷静な立場でものが言えるからだろうか。
明治以来、営々と築いて来た制度は、総てが水泡に帰してしまった。