モーリス・ユトリロ自画像
《ノートル・ダム》(1909年) オランジュリー美術館
《コタン小路》(1911年)ポンピドゥ・センター
《サンマルタン門》(1910年頃)ビュールレ・コレクション
《モンセニス通り》(1914年)オランジュリー美術館
《クリニャンクール教会》(1913-1915年)オランジュリー美術館
《ベルノの家》(1924年)
《ビュート・ピンソン》(1905-1908年) オランジュリー美術館
《プール=レ=ゼシャルモ(ローヌ)》(1934) 笠間日動美術館
生活環境に恵まれなず飲酒治療の一環として行っていた描画が評価され、今日に至っているんですよね。
依存症は祖母のマドレーヌにも原因がり、彼女自身も酒には目がなく、一種の精神安定剤として孫に酒を飲ませていたとありますが、酷いお祖母ちゃんですね。
その結果、貴方は17から18歳でアルコール依存症に対する治療を始め、1904年に貴方を診察したウィレット博士の手記によると、父親がアルコール中毒、父方の祖母が自殺していると記されていますが、父親には諸説あり判明していないって、まさか父親がいっぱいいるということではないですよね。
アルコールの問題は奇行の原因ともなって、1911年4月12日に「公道で通行人に性器を露出した」として恥辱罪で逮捕され、5月10日にパリ市更正裁判所第11法廷により泥酔と猥褻の罪で起訴され、「軽犯罪の罰金50フラン、法規違反の罰金50フラン」が課せられたんですか。
そりゃまずいでしょ。
私だって一辺も出したことありませんよ。
然し、一度、貴方の伝記本などあれば読んでみたいです。