そうなんだよ、歴史学は社会を生きぬく最強のスキルなんだよ、なあダメオ。
そう、私は子供の頃に長谷川一夫さんの『赤穂浪士』を見て以来、大の歴史ファンになったはいいが、社会を生きぬく最強のスキルとして役立ったかといえば、その運用や容量が分からず、独り、四阿で雨露を凌ぐ無宿人とあまり変わりはないどろう。
さしずめ、瘋癲のダメ男とでも言っておこうか。
今日も今日とてこんな本を買って来た。
奥付を見ると、紙事情の悪い昭和22年2月15日発行とある。
この赤茶けた色、まさに書棚の肥やしになって幾星霜、全体、どのぐらいの人の手に亘って私の許へたどり着いたのか。
幸い今日はどしゃ降りではではなかった、そんな歌があったな。
徳田球一と志賀義雄だって、誰が知ってるねんなんていう御仁ぞなもし。
歴史は一方方向からでは分からない、右も左も読んでこそだ。
扨て、今一冊は。
かなり昔、大岡昇平の『堺港攘夷始末』という本を苦労して読んだことがある。
それをフランス艦長の側から見た記録ということか。
面白そうではないか。
ともあれ、私の場合はいくら歴史を学んでも、社会を生きぬく為には、もう遅すぎる。
単なる自慰行為に似てるが如し。