愛に恋

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ドビュッシー最後の一年  青柳 いづみこ

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天才的大作曲家というのは巨万の富を築いたかと思いきや、そうでもないらしい。

ある石炭商に宛てた手紙には、

 

「私の小さな娘は、あなたの手紙に狂気していました。我々の時代には、少女たちは人形よりも石炭の袋を好むものです」「気温は下がり、我が家にはもう石炭がありません。必要に迫られてお願いするのですが、できるだけ早く、お送りいただけませんでしょうか」

 

この状態が数週間続いて、 しかも、直腸がんで仕事のできないドビュッシーには、石炭を買う金がない。

1894年『牧神の午後への前奏曲』が初演で評判をとり、1899年に管弦楽のための『夜想曲』を仕上げても、彼は貧乏なままだったとある。

仕事は遅く、少し金が入るとすぐに本や美術品を買ってしまう浪費家で、作曲だけではなく、出稽古にも行くわけだが、何しろ金が貯まらない。

ところで、『牧神の午後』と言えばニジンスキーだが、空中で止まって見えたという彼の演技を何度も想像してみた。

最も高いところで両足をおもいっきり開く、この動作が、一瞬止まって見えるような錯覚を招いたのではなかろうか。

話を戻すが、ドビュッシーは初めて見た譜面を難なく弾きこなす大家で、彼の曲を今度のステージで演奏したいから、レッスンをお願いしたいというピアニストが何人も訪れているが、作曲家自らが見ている前で演奏するのは緊張しはしまいか。

クラシックは解釈の問題なので、「アナタの解釈がそれでいいなら、それでいいでしょう」なんて言われたら焦ってしまう。

ではドビュッシーのテクニックはどの程度だったのかという問題に関してはこうある。

 

有名な指揮者ですら振り間違えるという複雑な変拍子を練習なしに演奏する。

 

考えただけでその凄さが分かるようだ。

彼は言う。

 

「美しい悪魔のようにとりついて離れない」

 

当時の作曲家の収入はどのようになっていたのか。

生徒のレッスン、コンサートの収益、以来されて作曲した場合の契約料、他に何かあるどろうか?」

なにしろレコードがない時代なので印税生活が出来ない。

天才にして似つかわしくない貧困生活と病苦、同情を禁じ得ない。