2020-02-10 1945年6月4日、神戸港 あの日、あの時、写真は語る 何してくれるの! まったく嘗て日本全土にバラまかれた爆弾はいったいどのぐらいの数になるのか。 人命だけではない、貴重な文化遺産の数々が焼失した。 現在の時点から見れば信じられないような写真だ。 サイパンが陥落した時点で、もっともっと政府内で話し合うべきだった。 東條内閣が終わった時にこそ休戦を申し込むタイミング、分っています、軍部を抑えるのは容易ではないことは。 然し、そこを敢えて大本営連絡会議で何としてでも強硬に対極を見据えて和平の道を探るべきだったと小生は思うのであります。