愛に恋

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田宮二郎の真相 石田伸也

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田宮二郎といえば、私の世代『クイズタイムショック』ではなかろうか。

司会者として軽妙な語り口、人懐こい笑顔、その頃の私は田宮さんが役者だったということを知らなかったかも知れない。

中でも加山雄三さんが出た時には、5週連続勝ち抜きで、みんなを驚かせた記憶がよく残っている。

 

あれは、いつの事だか覚えてないが、ある深夜のこと、何気なくチャンネルを回していると、勝 新太郎のドスの効いた河内弁で、派手など喧嘩をしている場面に出くわした。

その勝新の演技の上手いことなんのって、これは見ずにいられないと思いながら、こちらもどっしり身を構えていると、そこへ、まるで水たまりをぴょんぴょんと飛び跳ねるかのように、背広を引っ掛けながら遣って来て田宮二郎

勝新とはまったく違うキャラでこう言う。

 

「あんさん方、どうしなはったです」

「うるせぇ、ガキはすっ込んでろ」

「おっと、そうはいきまへんで」

そして家の中に入る勝新とヤクザが乱闘中、

「兄さん、どうしなはったんです」

「こいつら、えげつないで、今日からこの漁場はうちのもんやと言うて殴り込みに来やがったんや」

「なんやとコラ」

 

ってなもんで、ヤクザもドスを抜いて応戦、この『悪名』シリーズが意外と面白い。

天才勝新と、ひょうひょうとした感じの田宮、映画と『タイムショック』が終わった後の『白い巨塔』で人気と実力を示したはずの田宮が何故?。

生没年は1935年〈昭和10年〉8月25日 - 1978年〈昭和53年〉12月28 日)だが、田宮の自殺は暮れも差し迫った日本列島を震撼させた大事件だった。

それもヘミングウェイのように猟銃自殺というから衝撃的だ。

何も知らない私としては、本人がハリウッド進出を図っていたが、上手くいかず、それを苦に死を選んだような記事を読んだことしか記憶にない。

 

然しまた何故、田宮ほどの役者が自殺すれば、その衝撃は計りしれないものがあると、承知しながら、それでも死なずにいられなかったのか。

通称、大映のドンといえば永田雅一だが、ある映画ポスターの序列を巡って永田に噛みついたようだ。

若尾文子加賀まりこ岡田茉莉子、の下に田宮二郎と名を連ねたことに腹を立て、永田に詰め寄った田宮は、あっけなく首になったということで、その頃はまだ五社協定が存続しており、田宮は映画界から干され、なりふり構わぬ仕事が『クイズタイムショック』だったともいえる。

当時、幼い子供を二人抱えていたとはいえ、田宮の目標はクラーク・ゲイブルだったとあるので、夫人としては「じたばたしてほしくなかった」と言っている。

本書によると勝新は『悪名』での田宮を一度たりとも評価しなかたように書かれているが、二人の間にわだかまりがあったというのは、その辺りのことを言っているのであろうか。

 

永田社長に「お前はまだ三流役者だ」と罵られた田宮の評価だが、雷蔵の本を読むと分るが、大映には東映に比べて主役を演じられる役者が少なかったように言っている。

肝心の山本富士子が結婚して引退、看板俳優の雷蔵が夭折。

御大長谷川一夫は少し年を取り過ぎた。

勝新雷蔵のあまりにも上手すぎた演技と人気のために、二人の影にかくれて田宮二郎といってもピンと来なかった。

更には大映当時の代表作がない。

田宮の苦悩は深まるばかりだったことだろう。

 

以前から思っていることだが、有島武郎芥川龍之介太宰治と頑是ない子供を残しての自殺というのは余程のことだ。

今となっては詮無い事だが、どうしたら田宮を救うことが出来たのか。

永田社長の思いやり、勝新からの評価、どうであれ、やはり死なせたくはなかった役者であることは間違いない。 

 

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