愛に恋

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きのこ雲の下で何が起きていたのか

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フランシスコ教皇が来日して広島、長崎を訪問したらしいが、この写真を見るとまったく遣り切れない。
原爆投下3時間後の御幸橋での写真で、果たして原爆投下は必要だったのか。
勿論、アメリカにとっては必要だったのだろう。
何しろ、戦争終結を早め、本土決戦を回避でき推定100万もの米将兵の命を救ったという説もあるぐらいだ。
 
8月の段階で国土の至る所が焼野原となっている上、本土決戦などやっていたのでは京都や奈良も無事では済まなかったかも知れない。
しかし広島や長崎の惨状を見るにつけ聞くにつけ、これで良かったとは到底言えないのが日本人の言い分だ。
 
通説によると、アメリカ軍は20年11月1日に九州南部に上陸する「オリンピック作戦」と、21年3月に九十九里浜相模湾、つまり茅ヶ崎海岸から上陸する「コロネット作戦」なるものを計画していたらしい。
余談だがコロネットとは「馬の蹄」ということ。
 
両作戦に投入する兵力は500万人。
対する日本の兵力も500万、特攻機5000機と推定。
最悪のシナリオは天皇が本土を脱出して満州に避難した場合、アメリカ軍は、それまで一度も対戦したことのない精鋭関東軍と対決しなくてはならなくなり、その為にルーズベルトスターリンに対日参戦を強く要望したとか。
対する日本側の考えを代弁するように海軍の大西瀧治郎中将はこのように言っている。
 
「いくらアメリカでも日本国民を根絶してしまうことはできない。攻めあぐねれば、アメリカもここらで和平しようと考える。そこまで持ち込めば取りも直さず、勝ちとは言えないまでも負けにはならない。国民すべてが特攻精神を発揮すれば、たとえ負けたとしても、日本は滅びない、そういうことだ」
 
あれは8月15日だったか、大西中将は軍令部総長「あと、2000万、あと2000万の特攻があれば日本は勝てる」と言った。
神州不滅、負けたくない気持ちは痛いほど解る。
戦争の狂気とは勝つためなら何でもする。
原爆だろうが特攻だろうが勝たねばならぬわけだ。
 
そう、戦争はしないに越したことはない。
しかし、已む無く始まってしまった場合は負けるわけにもいかない。
何としてでも勝ちたいアメリカ。
何が何でも負けられない日本。
考えなければならないのは、ひとり、軍人が悪いのではなく当然、当時の国民世論の後押しもあった。
もし、自分が当時の世代として生まれていたなら、どのような思想信条を持ったであろうか。
 
時代環境が違えば当然、私も今のままというわけにはいくまい。
終戦に関するこの悩ましい問題は、どう答えたらいいのか。
本土決戦になれば、両軍、更に膨大な死傷者が出たはず。
だからこそ、早期解決のために原爆投下は必要だった。
 
東條内閣が退陣して鈴木内閣が組閣されるまで間に、小磯国昭大将に大命が降下されたが、腹を切るぐらいの覚悟で休戦を申し込んで欲しかった。
または鈴木内閣の初期にでも。
下手をすればクーデターの可能性もあったのは分るが、国家を二分してでもこの難局を切り抜けてほしかった。
小磯陸軍大将も鈴木海軍大将も戦後生き残ったが、ねえ、何とか言って下さい。