愛に恋

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朝妝 黒田清輝

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「朝妝」とは(ちょうしょう)と読むらしい。
「妝」とは「装う、化粧」のことで、今では使わない言葉ですね。
その「朝妝」がこの絵のタイトルで画家は黒田清輝
名前を見ただけで薩摩人と分る人物だが、黒田は本来法律を学ぶために渡仏したが、その才能は美術の方面で開花してしまった。
明治26年7月、10年間に渡る留学から帰国したとき、彼は既に画家として大成していた。

その後、明治、大正を通じて日本洋画界の重鎮として画壇に君臨する黒田が、明治28年4月、京都で開かれた第四回内国勧業博覧会に出品したのがこの作品。
然し、ヌード作品は当時の人々を驚かせるのに充分な威力があり、裸体画は風俗を乱すという世間の受け止めかたを慮り、念のため主催者側は警察に問い合わせた結果、「展示は見合わせるべきだ」というものだったが博覧会事務局から異論が出た。
西洋の例を挙げて展示しても問題はないと説明する。
最終的には美術作品部門として許可されたのだが世論は黙っていない。
大阪朝日新聞は「美術館内の裸体画」と題して次のような論陣を張った。
 
「元来日本画中此種のものは禁制品中に数へられたる猥褻画なりと思ひ居りしに、今公然館中に掲げられたるは、油絵原則に撚り両股相接する体勢を顕はし、陰毛を描かず普通一般の油絵として差支へなき由、或る筋の人より聞けり。今此説をして真ならしめば、今日巳後(いご)美術の範囲より一歩を誤り其極風俗を壊乱するに至るべき絵画の雑出するを見んも知るべからず、と某観者は言へり。兎に角此事は美術界の一問題となるべきか」
 
要するに風俗壊乱となるから如何なものかと言っている。
そして都新聞もそれに追従する。
 
「嗚呼、何ぞ醜怪なるや、裸体画果たして美術の精粋を現すものか」
 
それに対し、黒田は全く意に介さず泰然自若として世論を面白く見守っていた。
 
「いよいよ裸の画を陳列することを許さぬと云事になれば以来日本人には人間の形を研究するなと云渡す様なものだから全く考へもんだ」
 
新聞は勿論、明治政府は裸体を徹底的に弾圧。
然し、西洋で画業を習得した黒田にしてみれば、裸体画は芸術なのだと一歩も譲らない。
この絵が当時如何に問題になったか、ビゴーが挿絵にしていることからしても分かるというものだ。
 

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世人をして賛否両論騒がせた作品は、結果的に黒田の支援者だった住友家第15代家長・住友友純が購入し、須磨海浜公園に建てた住友財閥の須磨別邸に飾られた。
現在の価格で3600万円程だとか。
だが、昭和20年6月5日の大空襲で作品は灰燼に帰し、全ての物語を連れ去った。
全く堪え難きは空襲である。