私が見ていた頃は小学生だったから60年代ということになるが『唄子・啓助のおもろい夫婦』が1969年 - 1985年、フジテレビとあるので両者は時期が被っていたわけだ。
ミヤコ蝶々というと小柄の怖いオバサンというイメージがあるが、そんな彼女も当然だが女だった時代がある。
22歳の時、漫才師の三遊亭柳枝と略奪婚のような結婚をしたが、柳枝の浮気で27歳で離婚。
その頃のことか、昭和25年、26年と芸能界、作家、映画界、学生と多くの人の間でヒロポンが大流行、蝶々さんも愛用とあるのでビックリするが、私の父も同様で、子供の自分にはよく血管注射する父を見ていた。
日本では戦中戦後、ヒロポンが蔓延していたことはよく知られている。
だが、精神病院送になってしまった。
体重も、小柄とはいえ30キロ程度で、いかに健康を害していたかが分かる。
私の中では、お婆さんのイメージしかない蝶々さんだが、人の人生とは分からぬものだとつくづく思う。
後に夫婦としてコンビを組んだ南都雄二は、初婚の三遊亭柳枝の弟子にあたり、いつも蝶々さんが「なんと言うじゃ」と、よく訊くことから南都雄二という芸名になったらしいが、これまた夫の女性関係から離婚してしまった。
私は体が弱くて、原稿に追われていて、夫婦生活も駄目に近いわけでした。その頃もよく女にもてた雄二さんが、若いのによく辛抱してくれていました。だが、その辛抱はやはり男です。そう長くは続くものではありません。
それ以来、夫婦喧嘩が絶えず、他の女との間に子供が出来たのを知って12年の結婚生活に終止符、女としてこんな辛いこともあるまいに。
だが、離婚後もコンビは解消せず漫才は続け、それがあの『夫婦善哉』となるわけで、なるほど、そんな歴史があったんですね。
その後、再々婚はなかったが、よく人に、
「あんたこれからどうするの。結婚するの、それとも一生独身でいるの」
と訊かれることが多かったという。
大宅壮一との対談では、大きな声で、
「あんた、恋人かなんかいるの」
「いいえ」
こう申し上げたら、
「君、その年で何もないって、かえって不潔だよ。自慢にならないや」
って笑われましたが、なるほど、先生のおっしゃる通りです。
と書いている、世知辛い今ではセクハラ発言になるような会話もさすがにお二人、言う方も受ける方も、そんな狭い了見ではないらしい。
然し、先生のおっしゃる通りですという限りは、その後の男性関係が気になるところだが、そこはまあ、ゲスの勘繰りになってしまうのでやめておこう。
この世の中、男と女があって誰もが生まれてくるわけだが、秘めたなれそめは本人しか知らず、その死と共に永遠に消え去る。
私のドラマとて例外ではあり得ず、いつかは消えて行く運命なれば、そこに無常観が生まれるのは自然の法則なるかな。