愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

春風に吹かるる如く思いしもわれ

           f:id:pione1:20190517103108j:plain

北原白秋石川啄木は1歳違いで白秋の方が年長だが、浅草の花柳界で悪い遊びを教えたのは啄木の方だった。
啄木は釧路の花町で芸者遊びをしていたから、その道の先輩。
 
啄木は生前には殆ど良い噂というのがない。
借金を踏み倒し、女にだらしなく、尊大で嘘つき。
そんな事から仲間に信用されず嫌われ者だったらしい。
与謝野晶子は啄木への哀悼歌として次のような歌を詠んだ。
 
啄木が嘘を云ふ時春風に吹かるる如く思いしもわれ
 
それを後押しするように白秋はこう回想している。
 
啄木くらい嘘をつく人もなかった。
然しその嘘も彼の天才児らしい誇大的な精気から多くは生まれてきた。
今から思うと上品でもっと無邪気な島田清次郎という風の面影もあった。
彼は嘘をついたが高踏的であった。
晶子さんに言わせると、『石川さんの嘘を聞いてるとまるで春風に吹かれているよう』であった。
そうした彼が死ぬ二三年前より嘘をつかなくなった。
真実となった。
歌となった。
恐ろしいことである。
 
島田清次郎とは大正期に自伝的小説『地上』でベストセラー作家になった人物だが、人間的にはかなり問題のある作家だった。
最後の「恐ろしいことである」と言うのは詩人としての天才性が白秋には読み取れたということだろう。
しかし踏んだり蹴ったりの啄木だが悲惨なのは啄木の一家だ。
妻節子の伝記本によると啄木の母、そして節子とその二人の遺児たちもみな啄木と同じ胸の病で亡くなった。
 
残された作品を読んでいるだけでは、その人物像はなかなか掴み切れない。
どうなんだろうか、荒波に藻掻くような青春を送り、枯渇した情欲を常に女で発散させるような体質から、純度の高い言霊がペン先を通じて流れ出てくるのであろうか。
人間、推敲を重ねたからと言ってそうそう名文など書けるわけでもない。
天才には天性という濾過器が自然に備わっていると解釈したほうが自ずと納得できるのだが。