愛に恋

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モナ・リザが盗まれた日 セイモア・V. ライト

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「いかなる物であれ美術市場で不足をきたす物があれば、そしてそれに応じて高値を呼ぶものがあれば、そこに必ず偽造行為が登場する」
 
フランク・ジェウェット・マザーという批評家が言っているらしい。
価値のある物の偽造とは、需要と供給の法則の副産物に他ならない、なるほどね。
 
1911年8月22日、モナリザの保護ケース設置の仕事をしたことがあるイタリア人、ランチェロッティ兄妹、ヴィンチェントとミケーレによってモナリザは盗まれた。
当時は今ほど警備が厳重じゃなかったこともあり、念入りに計画された盗難は成功。
本書によると、絵画の模写は原寸大でなければ自由に出来たとあるが、現在はどうなんだろうか。
 
ともあれ、この盗難事件は全てマルケスと言われる親方が仕組んだもので、まず、模写の天才、イヴ・ジョドロンという男にモナリザの複製を描かせる。
完成した六枚の複製を、マルケスモナリザが盗まれる前にアメリカに持ち出す。
この時点でモナリザはフランス国内に留まりビンセンツォ・ペルージャという男が保管している。
国宝級の絵画が盗まれたとあってはフランス当局の捜査も厳重を極め空港や幹線道路など国外に持ち出されないよう厳戒態勢が敷かれる。
 
そして、モナリザ盗難のニュースが大々的に報道されるのをマルケスアメリカで待つ。
盗難発表後、暫くしてから大金を払ってでも欲しいという闇のコレクターを6人探す。
マルケスは6枚の複写画をアメリカ人5人、南米人1人に売りさばく。
もちろん彼らは盗まれた本物のモナリザだと信用して買い取る。
作戦が成功したということは、模倣者イヴ・ジョドロンにとって芸術的力量の確証にもなる。
マルケスは仲間に相応の分担金を既に払っていたが!
 
然し、成功に思われたこの窃盗に思わぬ落とし穴が待っていた。
親方の命令でモナリザを隠し持っていたビンセンツォ・ペルージャは、何か月も連絡がないことから、自分の取り分が少ないことにいら立ち、モナリザの故郷イタリアで、この窃盗品を売りたいと、ある美術商に言い出したことから足が付き、遂に御用となってしまった。
モナリザが消えてから二年、諦めていたフランス国民ならずとも世界を驚かす。
1913年12月13日、ニューヨークタイムスの第一面。
 
’’モナ・リザ’’見つかる―犯人逮捕
 
このニュースを聞いて驚いたのは複製を本物だと思って買った6人と、モロッコでのんびり休養していた親方マルケス
と、少しあらましを単純に書いたが、取り戻したフランスとしては、果たしてそれが本物かどうか検証作業が始まると同時に、著者はモナリザの歴史を紐解き、そもそも、ルーブルにあったモナリザその物が、既に過去の段階で贋作と取り換えられているのではないかという疑問を呈している。
また、盗難にあって二年間、湿度などに弱い絵画が、どうし何の損傷がないまま戻ってこれたのかなど、流石にノンフィクションだけあって細かく検証している。
 
ところで、作中で何度も出て来るジョコンダという名前、どうもモナリザを指していることは分かるが、調べてみるとレオナルドが死去する時に弟子のサライに、
 
「ラ・ジョコンダ (la Gioconda)」という題名の肖像画を遺贈したことが、サライの個人的覚書に記されている。「La Gioconda」はモデルの姓であると同時に、「幸せな人」を意味する「La jocund」の語呂あわせにもなっている。
 
モデルの姓だとは知らなんだ。
 
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