愛に恋

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富田屋の八千代


The Geisha 100 years ago "YACHIYO" 1904

明治時代の天下の三名妓「大阪富田屋の八千代」「赤坂春本の万竜」「京都祇園の千賀勇」がそれだが、中でも富田屋の八千代は絶大な人気を誇り、男性だけでなく女性も憧れる存在で、どんなに金を積まれても、身請けの話には一切応じなかったというが、そんな彼女を射止めたのが浪速風俗画で知られる菅楯彦という人物で、時に大正六年、楯彦39才、八千代29才だった。
 
いつだったか、大阪は箕面にある野口英世銅像を見に行ったことがあったが、英世の母シカは繰り返し米国に滞在する息子へ手紙を送り帰国を願って已まなかった。
念願が叶って帰国した英世は、母を伴い箕面滝道の料亭琴の家で一夕の宴を設けたのが大正4年10月10日。
隣に座る老母シカに何くれと心を砕いて孝養する様子に、その席で踊りを舞った芸妓八千代が思わず涙を流し、同席の人達も貰い泣き、これが後年、箕面野口英世銅像が建てられる機縁となった。
 
こんなエピソードもある。
ある茶屋で入浴中の酔客が湯水を派手に飛ばし、通りかかった八千代の着物がずぶ濡れになった。
思わず顔をしかめると、謝るどころか、
 
「やい芸者、着物がそんなに惜しいのか。わしがもっとええべべ、こさえてやるぞ」
 
と云ったその途端、
 
「いいえ、ちっとも惜しゅうはございません
 
と、いきなり着物のまま湯船に飛び込み、濡れネズミのまま立ち去った。
しかし、そんな天下の名妓は長生きしせず、大正13年、腎炎のために37才の若さで世を去った。
映像は、今に彼女の姿を伝える唯一のもだろうか。