愛に恋

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斎藤一

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泣く子も黙る新撰組は隊を十に分け、それぞれの組長は以下の通り。
 
一番隊:沖田総司
二番隊:永倉新八
三番隊:斎藤一
四番隊:松原忠司
五番隊:武田観柳斎
六番隊:井上源三郎
七番隊:谷三十郎
八番隊:藤堂平助
九番隊:鈴木三樹三郎
十番隊:原田左之助
 
新撰組ファンには夙に有名な名前だが、実は21歳の時に司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』を読んで以来、新撰組のファンで、過去には愛知県岡崎市近藤勇首塚、壬生屯所の芹沢鴨殺害の部屋、切腹した山南敬助の墓を詣でたが、近年、三番隊長斎藤一の写真が発見されたと聞いて驚いた。
 
二番隊長の永倉新八大正4年まで存命して日記も残している。
老いてからの写真も公開されているので今日見ることができるが、斎藤一の写真というのは初めて見た。
調べてみると大正4年9月28日没となっている。
ということは永倉新八と没年が同じということで、俄然、興味が湧いてきた。
大正年間まで生きた両者の間に交流はなかったのだろうか。
 
斎藤一天保15年1月1日、永倉新八天保10年4月11日生まれの五つ違い。
因みに原田左之助上野戦争で負傷して死去。
藤堂平助は後に新撰組を離脱、油小路で土方らによって粛清されている。
 
それにしても激動の幕末維新を生き延び、大正期まで存命だった斉藤と永倉。
この二人の邂逅はあったのかなかったのか知りたい。
因みに私の育った東京板橋には近藤勇の墓があり、幼稚園時代の遊び場所で、歴史上の人物としては初めて知った名前だった。