昨今、私を苛立たせるフレーズに「号泣」という言葉がある。
芸能人が薄っすら涙ぐんだけで、翌日には誰々号泣という見出しが躍る。
号泣という意味を知らぬのかと言いたくなるぐらい、やたら軽々しく乱発されている。
そこへいくと裕次郎が死んだ時の松方弘樹は本当に号泣していた。
「死んじゃダメなんだよ死んじゃ」
と、人目も憚らず涙を流していたが、その本人が死んでどうする。
以前、松方弘樹を一度見たことがある。
「今、62歳で半分棺桶に片脚を突っ込んでいる」
と、自己紹介していたが病には勝てなかった。
そんなことを考える私も若いころは芸能人の死に対しても些か鈍感だった。
若い故にやむを得ない。
例えば三島由紀夫、川端康成、東海林太郎、左卜全、藤原義江などの死を聞いても、本当に他人事のように受け止めるばかり。
つまりは時代を共有していないことが要因で戦前の生まれ、ましてや明治生まれなどの人は猶更だ。
しかし、誰の死であれ、同世代の人にしてみれば他人事ではなかろう。
「ああ、ついに彼も死んだか」
と、死が身近に迫ってきたような感慨になるのも宜(むべ)なるかな。
思えばこの半世紀の間、無数の著名人が亡くなった。
「私、百歳まで生きるかも」
なんて言っていたら、
「そんなに生きたら周りに誰も居なくなっちゃう」
「あら、どうしましょ」
と、互いに笑っていたが、周りというのは友達のことを言っていると思うが、既に小沢昭一も旅立った。
衝撃的な死も数えきれない。
田宮二郎、江利チエミ、岡田有希子、未だ脳裡にこびり付き散乱している。
私個人のことを言えば、友人が二人、同級生の芸能人は三人、一人は国民栄誉賞で三人とも超有名人だった。
前振りが長くなったが昨夜のニュースには本当に驚いた。
ショーケンが死ぬ、そんな時代が遂にやって来たのだ。
私は生前の彼を一度見たことがある。
確か昭和46年の夏だった。
今は無き名古屋の中日球場でPYG(ピッグ)の野外ライブを観戦したのだが、PYGといえば沢田研二と組んだグループで、現在50歳の人でも記憶にない古い話になってしまった。
グループ・サウンズ出身の人は例外なく、みんな私の兄貴分になるが、かなりの人が亡くなってしまった。
ザ・ジャガーズの岡本 信。
と有名なところを並べてみたが、ショーケンが属していたザ・テンプターズでは既に2人が亡くなっている。
思えばジュリーとショーケンはあの時代を象徴する人だった。
ショーケンが歌う『エメラルドの伝説』は少年時代の十八番で、よく歌ったものだ。
調べてみると1968年6月15日発売とある。
51年前か・・・!
私はまだ青春の「せ」の字にやっとたどり着い年齢だったが、以来、幾星霜、聞けばショーケンは68歳だという。
最近、どうしているのかと、その姿を見ることがなかったが突然の訃報を聞いて残念この上ない。
ひばりが死んで泣き崩れるファン。
鶴田浩二が死んで「帽フレー」と叫んで涙するファン。
hideの霊柩車に押し掛けるファン。
数多くの著名人の死で、あの世は定員オーバーになるかと思えばそうでもないらしい。
まだまだ空きスペースはあるとか。
先輩がどんどん減っていく昨今、もうこの手のニュースは聞き飽きた。
哀しみよ空の彼方へと言いたい。
ショーケンなんてさよならだ!
寂聴さんより先に逝くなんて馬鹿野郎。
ジュリーに比べ、歌が下手けれど、その分、哀しみが詰まっていたお前の曲を聴いてやるよ。
好きだったんだよこの歌が、なあ、よく覚えておいてくれよ。
アンタ、4回の結婚と4回の逮捕歴があると聞くけど、それもアンタの人生を彩る勲章みたいなものだよな。
然し、春爛漫は今からだというのに何故死んだ、バカ野郎!