愛に恋

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渇望 - 女たちの終わらない旅 亀山早苗

 
平たく言えば、女性の性的な飢えということになるのだろうか?
結婚後も末永く肉体的コミュニケーションがとれている夫婦には、何ら関係ない本ともいえるが、果たして世にセックスレスで悩んでいる女性はどのぐらい居るのか、これは男女問わず興味のあることだと思うが、一度、大規模調査とはいかないわけで、
しかし、この問題、時に深刻な状況を生み出し、本書にもあるように場合によっては心療内科のお世話になる人もいるという。
 
例えばレスになったら等しく考えることがあるはず。
最後にしたのはいつか?
このままずっとないのか!
これで女を終わっていくのか。
本書は多くの女性の悩める話を解決するのではなく、ありのままを提示して読んでもらうルポで、如何に多くの女性が性の問題で悩んでいるか、その深刻な様を赤裸々にしている。
 
更年期、閉経、白髪、皺と老化の一途を辿る前に、せめてもう一花咲かせたいという女心は意地らしくも切ない。
それを何で男性の私が読んでいるのか?
いや、男にとってやはり女は永遠の謎、五十の坂を超えた女性が、この先を見据えてどう思っているのか私としては実に興味の尽きないところで、つい手が伸びてしまった。
ともあれ、更年期に入った女性の抉るように時に面白い告白が書かれている。
例えばこれ、本当だろうか?
 
「更年期世代になると女性ホルモンが減る。相対的に男性ホルモンの量が増えたことになって攻撃性が高まり、性欲も増進されて男を襲いたくなる」
 
と、著者は人から言われたことがあるらしいが・・・!
やはりこれは女性に訊かなければ分からない。
更に女性の性欲についてこのように書かれている。
 
一瞬でもいいから、誰かに求められたい、と願ってしまう。実は女性の”性欲”の肝はここだ。肉体だけの欲求ではなく、裏に必ず孤独感が隠されている。寂しさから欲求が喚起されるのか、あるいは快感を知ってしまったから性欲が強まっているのか、はたまた女盛りの時間が「残り少ない」と思い込んでいるから焦燥感が募るのか、本当のところは分からない。
 
全体を通して諦観のようなニュアンスも読み取れるが、五十の大台を境に来し方の道を振り返り、過去の決断を思い出し、今更ながらに昔の恋人を懐かしく思い、もう若くはないことを悟る。
 
「若いころのに『私はこれでいいの?』と疑問を持てていれば、人生は変わったかもしれない。皮肉なものですよね。年をとっていろんなことがわかってきたときには、もう遅いの、何もかもが」
 
と、ある女性は言うが、確かに、男性の私にも当てはまることが多々ある。
今の精神で年齢だけ30歳に戻れれば一番いいのだが、そんな勝手は許されない。
湯水のようにあり余る時間を浪費した結果が今の自分なのだから。
こんな女性の話もある。
 
「私、夫しか男を知らないのです。夫以外の男性とちゃんと恋愛して結婚できていたら、今とは違う人生があったはずだと、最近、そればかり考えてしまう。高校時代、片思いだったあの人はどうしているんだろう、とか。そんなこと思ってもどうしようもないのに・・・・。私なりに必死に頑張ってきた人生だけど、何ひとつ報われなかった。それが虚しくてたまらない」
 
考えさせられるね。
決断が間違っていたのか、何年も経って、その過ちが大きな代償となって精神に重く伸し掛かる。
しかし、もう取り返しのつかない年齢までたどり着いてしまった。
あとは可もなく不可もなくの日々を惰性で生きて行く。
たった一度しかない人生だったのに、、、、か!
最後に、こんな体験記で終わりたい。
 
「長年の不倫の恋が終わった。しかも彼からのメール一本で」
「子供たちも成長し、夫婦はセックスレス。恋だけが自分を生きている証だったのに、それを失い、どいしたらいいのかわからない」
「恋をなくしたとたん、体調不良になった。更年期だと思う。もう誰も私を愛してくれない。あまりの孤独につぶされそうです」
 
彼女たちの孤独感に、私の心が反応した。恋を失った寂しさなら、若いときだって経験しているはず。それなのに、この年代になるとそれがもっと切実な孤独感へと発展してしまう。その深いつらさは、もうすでに忍び寄ってきている「老い」と関係があるのかもしれない。
 
嗚呼、まったく老いという奴には敵わない。
いずれ誰もが通る道だが、晩秋から初冬に懸かる道添に、花を探して歩く吾というところか。
 
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